35mm判カメラや中判カメラ用のレンズには「マクロレンズ」というカテゴリーがあり、ほとんどのメーカーから複数本のレンズが出ています。大判カメラ用にも近接用レンズがありますが、種類は少ないです。大判カメラでは蛇腹を繰出すことで、すべてのレンズがマクロレンズとして使えるといっても過言ではありません。
もちろん、35mm判カメラや中判カメラのレンズでもベローズや接写リングをかませることで近接撮影ができますが、遠距離にピントが合わなくなってしまいます。
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レンズの最短撮影距離
マクロレンズの定義は明確に決まっていないようですが、被写体に近づいて撮影でき、概ね、1/2倍以上の倍率で撮影できるレンズを一般的にはマクロレンズと呼んでいるようです。
これに対して、マクロの名がついていない普通のレンズは被写体に極端に近づくことはできず、最短撮影距離はレンズの焦点距離の10倍くらいのものが多いのではないかと思います。焦点距離が50mmのレンズであれば50cm前後、100mmのレンズであれば1m前後といった感じです。当然、撮影倍率も自ずと限界があります。
一方、大判カメラはレンズの種類に関係なく、蛇腹の許す範囲までレンズを繰出すことができます。
何故、一般のレンズが焦点距離の10倍くらいを最短撮影距離にしているかというと、多分、画質の低下が顕著にならない距離であることと、それくらいの距離までは露出補正をしなくても影響がないことが理由かと思われます。
カメラのレンズは無限遠にピントを合わせた時がレンズと撮像面の距離が最短になり、より近くの被写体にピントを合わせるためにはレンズを繰出す必要があります。その結果、レンズと撮像面の距離が長くなり、撮像面に入る光の量が減少してしまうため、露出を多めにしなければならなくなります(下図を参照)。
上の図のように、レンズと撮像面の距離が長くなればなるほど撮像面に入る光の量が減少するのがわかります。例えば、レンズと撮像面の距離が2倍になるとレンズからの光が描く円の直径も2倍になるため、この円の面積は4倍になります。すなわち、撮像面に入る光の量が1/4に減少してしまうことになります。したがって、適正露出にするためには露出を4倍にする必要があります(絞りで2段開く、もしくはシャッター速度を2段分遅くする)。
撮影距離とレンズ繰出し量の計算
近い被写体にピントを合わせる際、レンズをどれだけ繰出さなければならないかを計算で求めることができます。
レンズから被写体までの距離をa、レンズから撮像面までの距離をb、レンズの焦点距離をfとしたとき、これらの間には下のような式が成り立ちます。
1/a + 1/b = 1/f
手元に「フジノンCM Wide 105mm 1:5.6」という大判カメラ用のレンズがありますので、このレンズで焦点距離の10倍にあたる1050mmに位置する被写体を撮影することを想定してみます。
上の式に、被写体までの距離 a=1050mm、レンズの焦点距離 f=105mmを当てはめてレンズと撮像面の距離 bを計算すると、
1/b = 1/f - 1/a
= 1/105 - 1/1050
= 9/1050
よって、b = 116.7mm となります。
すなわち、無限遠にピントを合わせた状態(105mm)から11.7mm、繰出すことになります。
では、実際にレンズがどれくらい繰出されるかということで、フジノンCM Wide 105mmのレンズで実測してみました。
無限遠にピントを合わせた時のシャッター位置から撮像面までの長さは104mmでした。ここから、焦点距離の10倍となる1050mm先の被写体にピントを合わせ、同じようにシャッター位置から撮像面までの長さを測ったところ、115mmでした。すなわち、レンズの繰出し量は11mmということです。
上の計算式で求めた値と若干の差がありますが、実測値の測定精度はあまり高くないと思われますので、以後は理論値を使って話を進めます。
レンズを繰出すことによる露出補正値を求める
しかしながら、たとえ11.7mmと言えどもレンズから撮像面までの距離が長くなれば、撮像面に入る光の量が減少するのは上の図からも明らかです。では、実際にどれくらいの影響があるのかを計算してみます。
レンズを繰出すことによる露出補正量は下の式で求められます。レンズ繰出し量とは撮像面からレンズまでの距離をいいます。
露出補正倍数 = (レンズ繰出し量/焦点距離)^2
この式に、レンズ繰出し量の116.7mmとレンズ焦点距離の105mmをあてはめてみます。
露出補正倍数 = (116.7/105) ^ 2
= 1.235
となり、レンズを無限遠の状態からさらに11.7mm繰出すことで、1.235倍の露出補正が必要ということになります。
1.235倍という補正量を絞り値にあてはめると、√1.235 = 1.111 ですので、
5.6 * 1.111 = 6.222 となります。
よって、フジノンCM Wide 105mm 開放f値5.6のレンズが、116.7mmまで繰出されることで実効f値が6.2になるということを意味します。これは、絞りでおよそ1/4段に相当します。
また、レンズの焦点距離、有効径、そして開放f値には以下の関係式が成り立ちます。
開放f値 = 焦点距離/有効径
この式にフジノンCM Wide 105mm の値をあてはめてレンズの有効径を求めると、
有効径 = 105mm/5.6
= 18.75mm となります。
この有効径で116.7mmまで繰出した場合の実効f値は、
実効f値 = 116.7mm/18.75mm
= 6.22
となり、上で計算した値とほぼ同じになり、実態が正しいことがわかります。
これらのことから、1/4段程度であれば露出補正を必要としない許容範囲内という判断がされ、一般的なレンズの最短撮影距離が焦点距離の10倍前後になっているのではないかと思われます。
1/4段を大きいとみるか小さいとみるかは意見の分かれるところかもしれませんが、一般的な一眼レフカメラなどに備わっている露出補正は1/2ステップ、もしくは1/3ステップであり、これに比べて50~75%の値ですから、許容範囲と言っても差し支えないのではないかと思います。
最近のカメラではレンズから入ってきた光を測定して露出を決めているので、レンズの実効f値が暗くなったところで何ら気にすることはありませんが、大判カメラなどのように自動露出計が内蔵されていない場合はそういうわけにいきません。上の検証結果から分かるように、レンズの焦点距離の10倍より遠い距離にある被写体を撮影する場合は特に補正なしで問題ありませんが、それより近い被写体を撮影する場合は、実際のレンズの繰出し量を測定して露出補正値を計算しなければならず、面倒であることは間違いありません。
繰り返しになりますが近接撮影をする場合は、レンズ繰出し量と焦点距離を下の式に当てはめて、露出補正量を計算します。
露出補正倍数 = (レンズ繰出し量/焦点距離)^2
実際にレンズ繰出し量によってどの程度の露出補正が必要になるか、焦点距離105mmのレンズについて計算して表にしてみました。レンズ繰出し量は、レンズから撮像面までの距離になります。
大判カメラ用のレンズはどれもがマクロレンズとして使用できますが、露出補正というひと手間を加えなければならないということです。
前置きが長くなってしまいましたが、次回は撮影倍率と実際の撮影について触れたいと思います。
(2021年1月31日)
素晴らしい解説記事をありがとうございます。
記事中にある実絞り値F5.6と実効絞り値F6.2の露出差(Av値)は約0.29で、より正確には1/4段(0.25)〜1/3段(0.33)の間に位置しているという理解であっているでしょうか?
※手元の計算で2Log2 5.6≒4.97 , 2log2 6.2≒5.26。
そんなことは瑣末なことなのですが、レンズの繰出量と露出補正量を求める一連の流れは明快な論理展開で大変勉強になりました。
改めて大判カメラムズカシイと感じます。
記事を読んで改めて知りたいと思ったのが、焦点距離とフランジバックと繰出量の関係です。
記事中の計算ではレンズまでの距離として焦点距離を使用されていますが、テレタイプの場合でも焦点距離を計算根拠とするのでしょうか?(通常マクロ撮影に使うことは想定していないでしょうが)
実際の光量に影響を与えるのはフィルム面までの距離なので、フランジバック長を根拠とすべきなのかなと考えて混乱しているところです。
またそもそもの知識として、大判カメラにおいてフランジバックのレンズ側始点(フランジ面)は一般的にどこに定められているものでしょうか?
凹みボード・凸ボードの存在や、大判レンズのカタログに掲載されている側断面図から、シャッター後端をフランジ面としているように見えるのですが判然としません。
カメラが便利になってこういった細かいことを考えなくて良くなったと思う反面、レンズから機械式の絞り機構や被写界深度指標の刻印が無くなって寂しい気もします。
BMBOYさま
拙いサイトをご覧いただきましてありがとうございます。
実絞りと実効絞りの関係についてですが、考え方自体はBMBOY様のおっしゃる通りでよろしいかと思います。
ただし、5.6という値自体が近似値(公称値)であって、正確には「5.65685..」という値になります。ほとんど誤差の範囲なので精緻な値を使ってもあまり意味がありませんが、これに沿って計算するとAV=5となります。
そして、実効絞り値は「6.28476..」となり、この場合、AV=5.303になります。
これはおっしゃるように1/4段と1/3段の中間あたりの値です。
次にご質問のフランジバックと焦点距離の件ですが、一般的にレンズの焦点距離として表記されているのはやはり近似値(公称値)であって、正確には若干のずれがあります。
フランジバックとはレンズのフランジ面から撮像面までの距離で、これにレンズの第2主点からフランジ面までの距離を加えたものが焦点距離になります。
例えば富士フイルムのFUJINON CM 210mmというレンズの場合、フランジバックは208.7mm、第2主点とフランジ面までの距離が1.47mmとなっていますので、このレンズの焦点距離は210.17mmということになります。
このように正確には若干の差がありますが、実用上は焦点距離を用いてもフランジバックを用いてもほとんど差はありません。
ただし、ご指摘の通り、テレタイプのレンズの場合はフランジバック値を使うことになります。
なお、大判レンズのフランジ面はレンズのマウント面になっていることが多いと思うのですが、メーカーによって違いがあるかもしれません。
大判レンズの場合はカメラの蛇腹を繰り出すことでピント合わせをするので、フランジ面の位置をあまり気にしなくても問題はないかと思います。
確かに最近のカメラはほとんどお任せで撮影できますから、細かいことは気にしなくても済むので便利ですね。
丁寧なご回答ありがとうございます。
最近購入した3番シャッター付の300mmレンズで、シャッターとレンズボード(リンホフ規格)の間に抑え用のリングが入っており5mmほどの隙間があります。絞り環等の操作性を損なわないために必要な隙間なのですが、通常シャッターとレンズボードは接していて、その接地面=フランジ面という認識だっただけに「フランジバックをどこから考えればいいのか?」と混乱していました。
ご回答いただいた後に(安く買い集めた当時の)カタログ等を眺めて改めて考察してみた結果、おそらくメーカーによって「スペーサー部分をフランジバックに入れるか否かの考え方が違う」ようです。
富士フイルム(CM Fujinon)は「スペーサー部分を含む」(したがってシャッターとスペーサーの接地面をフランジ面とする。またシャッター番号は問わない)。
ニコン(Nikkor-W)は「スペーサー部分を含まない」(したがってスペーサーとボードの接地面をフランジ面とする。ただし3番シャッター用のレンズに限る)。
想像の域を出ませんが、富士フイルムはシリーズ全体の統一性を考えてシャッター後端=フランジ面とし、ニコンは実用上の統一性を考えてボード接地面=フランジ面としたのだろうと思います。
富士フイルムとしては、3番シャッターでリンホフ規格ボードを付ける機会は少ないだろうし実用的に問題ないと考えたのかもしれません。
レンズ交換式のシステムカメラにおいてフランジバックは厳格に規定された値であるため、大判カメラの曖昧さに少し惑わされました。しかし結果として良い学びになったと思います。
BMBOYさま
ご丁寧にコメントいただき、ありがとうございます。
私はニコンのレンズを1本しか持っておらず詳しいことはわからないのですが、大判レンズのフランジ面の定義はメーカーによって異なっている可能性があります。
大判カメラの場合、35㎜判の一眼レフカメラなどのようにカメラによってフランジバックが固定されているわけではないので、フランジ面の位置はメーカー依存ということかも知れませんね。
デジタル全盛の時代に大判カメラのhow toとても助かります。
私は中判フィルムから大判カメラに移行したのですが、フランジバッグの概念がなく大判カメラのレンズ選びに失敗しました。幸いベローズは特注でなんとかなりましたが、被写体から撮像面までかなり間伸びして撮影場所を選びます。レンズ買う前にこのブログに出会っていたらなーと思いました。
Replicaさん
コメントいただき、ありがとうございます。
今のカメラは面倒なことを考えなくても綺麗な写真が撮れますが、大判カメラはそういうわけにいかず、面倒この上ないですよね。しかし、そういう面倒なことを一つひとつやりながら、意図した写真を撮るのも大判カメラの楽しみだと思っています。
他愛もないブログですが、少しでもお役に立てればとてもうれしいです。
ブログの更新頻度はあまり高くありませんが、今後ともよろしくお願いします。
こぼうし