ローデンシュトック シロナーN Rodenstock Sironar-N 210mm 1:5.6 シャッター修理

 先日、久しぶりに新宿の中古カメラ屋さんをはしごしていたところ、とある一軒の中古カメラ屋さんでローデンシュトックの大判レンズ、シロナーN 210mmを見つけました。このお店にはこれまで何度も立ち寄っていますが、ここでローデンシュトックの大判レンズを見たのは初めてです。
 見たところ、外観は非常にきれいです。にもかかわらず、驚くほど安い価格の値札がついていました。しかも、リンホフ規格のレンズボード付きです。

安いのには安いなりの理由がある

 諭吉一枚で足りるどころか、かなりのお釣りがくる価格のローデンシュトックのシロナーN 210mm 1:5.6、訳ありに違いないとは思いましたが、目が釘付けにでもなったようにその場から離れられません。見るだけならタダだと思い、お店の方にお願いして棚から出してもらいました。
 お店の方が、「シャッターが不良なんですよね。修理に出すと4~5万かかってしまうので、仕方なくこんな価格にせざるを得ないんです。」とおっしゃいながらレンズを渡してくれました。よく見ると、値札の下の方に小さな文字で「シャッター不良」と書かれています。

 しかし、外観はとても綺麗です。新品とは言いませんが限りなくそれに近いくらい、よーく見ると細かな傷がほんのちょっとある程度です。
 そして、外観にもまして綺麗なのがレンズです。強い光にかざしてみると微細なチリはありますが、キズや曇り、カビ、コバ落ちなどはまったく見当たりません。レンズだけ見ればまさに新品のような美しさです。もちろん、絞り羽根もシャッター膜もとても綺麗です。

▲Rodenstock Sironar-N 210mm 1:5.6

 シャッター不良とはいえ、ずいぶん安いなと思いながら動作確認をしたところ、低速側のシャッター速度が正常に動作しません。1秒~1/8秒はかなりの高速で切れている感じです。ただし、1/15秒より高速になると概ね、正常な感じです。
 大判レンズの場合、高速シャッターよりも低速シャッターを使う頻度の方が多いので、これは致命的です。

 それと、T(タイム)ポジションがうまく機能しません。シャッターを開くときは問題ないのですが、閉じるときにはシャッターレバーを2~3回押さないとシャッターが閉じてくれません。B(バルブ)ポジションは問題なく動作しているので、長時間露光時もBを使えば支障はないのですが、せっかくついている機能が使えないというのはあまり気持ちの良いものではありません。

 低速側のシャッターが正しく動作しないのは、多分スローガバナーの問題だろうと想像がつきます。しかし、Tポジションの動作については原因が思い当たりません。
 焦点距離210mmのレンズを持っていないわけではないし、修理しなければ使えないレンズを買うこともないとも思いましたが、外観とレンズの美しさにどうしてもあきらめきれません。しかも、修理が必要とはいえ、こんなに安い金額でゲットできる機会はそうそうあるとも思えません。

 で、いろいろ悩んだ末に結局のところ、「ローデンシュトック シロナーN 210mm 1:5.6 お持ち帰り!」となりました。

まずはスローガバナーの修理から

 レンズを購入した翌日、早速修理に取り掛かりました。
 前玉を外して、シャッター速度ダイヤルの円盤を外すと内臓(シャッター機構)がむき出しになります。この状態で何度もシャッター切りながら内部の動作を調べます。因みに、シャッターはCOPAL-No.1です。
 すると、低速の時に、スローガバナー内にうまく動いてくれない歯車が2枚あることがわかりました。下の写真の赤い矢印の歯車が患部のようです。

▲スローガバナー

 上の写真で、シャッター速度ダイヤルを動かすと、黄色の矢印をつけたパーツが溝の中を動きます(写真では上下方向)。これによってスローガバナーの動きを切り替えているわけですが、いちばん外周側にあるときが低速シャッターを司っています。
 ドライバーの先で歯車を軽くつつくと動くので、汚れ等で粘っているのかもしれません。
 高速側は全く問題なく動いています。

 スローガバナーの内側は見えないので外してみましたが、特に汚れているようには見えません。念のため、ベンジンで洗浄して、歯車のシャフトに注油を行ない、動作確認してみると快調に動いてくれました。
 筐体内に取付けても問題なく動いてくれるので、これで低速側シャッターの問題は解消です。

Tポジションの動作不良の原因

 次にTポジションの動作ですが、こちらはどこに問題があるのかよくわかりません。シャッターをチャージし、開くときは問題ないのですが、閉じようと思ってシャッターレバーを押しても閉じてくれません。2回、3回押すとようやく閉じてくれます。
 何十回と動きを確認しているうちに気がついたのですが、シャッターレバーを押したときに動くカムのようなパーツの動きに問題があるようです。ここには髪の毛よりも細いのではないかと思われるバネが使われており、これがヘタってきているのかと思い外してみましたが、そうでもなさそうです。
 カムの下のパーツをドライバーの先でちょっと押すとシャッターが閉じてくれるので、どうやらこのパーツの動きが鈍いと思われます。

 下の写真の赤い矢印が問題のパーツです。

▲Tポジションの動作機構

 赤丸の中の右側にある階段状になっているカムと、その左側にある白っぽく見える爪のようなものがかみ合って、最初の動作でシャッター開、2回目の動作でシャッター閉となるのですが、2回目(シャッター閉)の時がうまくいっていないようでした。
 こちらは取り外さずに、シャフトのところをベンジンで軽く洗浄し、注油したところ、Tポジションでの動作が正常に行なわれるようになりました。やはり、少し粘っていたようです。

念のため、シャッター速度を計測

 これで低速側シャッターもTポジションの動作も正常になりましたが、シャッター速度がどのくらいの精度があるのか気になったので、念のため、実測してみました。
 他のページで紹介しました自作のシャッター速度計測用治具が、こんなに早く役立つとは思ってもいませんでした。
 各ポジションで3回ずつ計測してみたところ、基準値から最もずれていたのが1/400秒ですが、それでも-8%以下でした。1/400秒などほとんど使うことはないし、他のポジションのずれはそれ以下でしたので、全く問題ないと思います。

 このレンズ、あまり使われてこなかったのかも知れません。もしそうだとすると、外観やレンズに傷がなく、とても綺麗なのも頷けます。しかし、機械ものなので、長期間使われないことで動きに支障が出てきてしまったのかも知れません。
 念のため、修理後は毎日シャッターを切って動きを確認していますが、今のところ快調です。

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 動作不良のレンズとはいえ、驚くほど安い値段で購入しましたが症状は軽症だったため、ほぼ丸一日かけた修理で正常に動くようになりました。残念ながらまだ実際の撮影では使っていませんが、近いうちに使ってみたいと思います。
 しばらく使っているうちにまた不具合が出るかもしれませんが、当面は問題なく使えそうです。

 また新たにレンズが増えてしまいました。

(2022年2月26日)

#ローデンシュトック #Rodenstock #中古カメラ

写真にタイトルをつける(2) タイトルをつけるときの視点

 前回は、写真にタイトルをつけることによる効果について触れましたが、今回は、実際に写真にタイトルをつける際に意識すること、もう少し具体的に言うと、どのような視点でタイトルを決めるかということについて進めてみたいと思います。
 私は今回ご紹介するように、5つの視点のうちのいずれかでタイトルをつけることが多いです。あくまでも私の個人的な視点ですので、もちろん他にもたくさんの視点があると思いますが、参考になればと思います。

光や色、音、匂いなどからタイトルをつける

 写真というのは光を画像として記録しているわけですから、当然のこと、光とか色を視覚的に認識することができます。カラー写真であれば様々な色であり、モノクロ写真であれば濃淡として表現されます。また、光芒とか光彩などのように、光そのものが感じられることもあります。

 さらに、光のように直接的に認識できるものだけでなく、画像から、その場に聞こえているであろう音とか匂いとか、そういうものも間接的に感じることができます。例えば滝の写真であれば、流れ落ちる水の音を感じるでしょうし、梅の写真を見ればほのかな香りを感じると思います。

 こういった光や色、音、匂いなどをタイトルのもとにすることは比較的多く、タイトルにし易いかも知れません。
 例えば、木々の間から差し込む光芒が印象的だった場合、それをタイトルに加工することで、より印象が強まります。ただし、タイトルを「光芒」などのようにそのまま使うのではなく、表現を変えるなどのひと工夫が必要です。

 下の写真は、ちょうど今頃に咲いている「ロウバイ」を撮ったものです。

 この写真のタイトルは「木陰のぼんぼり」としました。黄色のロウバイの花に光が差し込んで、まるで花が自ら発光しているような感じです。
 ロウバイの印象がより強まるようにと思い、逆光になる位置からの撮影で、背景は暗く落ち込むように陰になっている場所を選んでいます。
 光り輝いている小さな花が、まるでひな祭りのぼんぼりのように感じられたのでこのようなタイトルにしたのですが、これを「木陰の提灯」としてしまうと雰囲気がそがれてしまう感じです。また、ぼんぼりは漢字で「雪洞」と書きますが、漢字よりも平仮名の方が優しい感じになると思います。

擬人化してタイトルをつける

 このタイトルのつけ方は一般的な風景よりも、花とか木とかの写真に対して使うことが多いです。簡単に言うと、花や木を人間に見立てて、姿かたちや仕草、立ち居振る舞い、表情などに例えるというやり方です。特に花の場合は人間に例え易く、そういう視点で見るとまるで人間と同じように見えてくるので不思議なものです。

 チューリップやヒマワリ、ユリなどが被写体になることは多いと思いますが、咲いている姿が躍っているようだとか唄っているようだと感じた経験のある方もたくさんいらっしゃると思います。そういった人間の姿や言動を重ね合わせて、それをタイトルにします。
 踊っているように見えるとすれば、「踊り子」とか「バレリーナ」などという言葉が連想されますし、唄っているように見えるところからは「熱唱」とか「コーラス」などという言葉が浮かんできます。
 「踊り子」などは写真によってはそのままタイトルになるような場合もあると思いますが、ちょっと味付けをすることで、より印強いタイトルにすることができます。

 紅葉し始めたカエデの葉っぱを撮ったのが下の写真です。

 タイトルは、「初めてのルージュ」です。

 まるで塗り絵でもしたかのように、しかも一枚だけが色づくのはあまりないと思うのですが、その色づいた赤があまりに鮮やかだったので、初めて口紅を塗ってみた女性に例えたタイトルです。ちょっとはみ出してるように見えるところから、「初めてのルージュ」としてみました。

 また、この写真にはキャプションもつけてみました。
 「ようやく色づき始めたカエデが一葉 まだお化粧には慣れていないようです」

 タイトルだけでは伝わりにくいかなと思ったこともありますが、ほのぼのとしたユーモラスさを表現できればと思ってつけたキャプションです。
 自然界は時として予想もしなかった姿を見せてくれることがありますが、そういう光景も擬人化することで写真を引き立てるタイトルになることもあると思います。

主題からタイトルをつける

 写真は主役と主題があるとよく言われます。主役と主題が同じということもまれにはあると思いますが、主役と主題は別のものであることの方がはるかに多いのではないかと思います。
 例えば、桜を中心となる被写体として撮影した写真の場合、主役は桜であっても主題は全く別物です。雪の残る山を背景に咲いている風景であれば、「春の訪れ」というようなことが主題になるかも知れませんし、風に散っていく桜の写真であれば、「儚さ」のようなものや「春から初夏へ」というようなことが主題になるかも知れません。
 要するに、桜の写真を通して何を伝えたいかによって主題は変わってきます。

 写真を撮影するときに主題が明確になっている場合もあれば、あとで仕上がった写真を見て主題が決まる場合もあるというのは前回にも触れた通りです。撮影の前に主題がはっきりしていたほうが作画意図が明確になるのは言うまでもありませんが、あとから主題を決めるのが悪いとも思いません。
 いずれにしても、その写真から何を伝えたいか、それを明確に持つことは大切なことで、それをタイトルにするというやり方です。

 長野県と群馬県の県境にある白根山を撮影しました。

 この写真には、「天翔ける」というタイトルをつけてみました。

 撮影したのは雨が降った翌日の早朝で、空気がとても澄んでおり、はるか向こうに富士山が見えます。筋状になっている雲も含めてとにかく空がきれいで、白根山と同じくらいの高さから撮影していることもあり、まるで空を飛んでいるかのような錯覚さえ覚えます。
 この写真の主題は限りなく広がる美しい空です。それを、そのとき自分が抱いた感覚をタイトルにしてみました。

 もし、空ではなく煙が立ち昇っている白根山に主題を感じたならば、構図も違ってくるでしょうし、当然タイトルも全く違ったものになります。

イメージや印象からタイトルをつける

 このタイトルのつけ方はちょっと説明しずらいのですが、被写体、あるいは仕上がった写真を見た時に全体から受ける印象をタイトルにする方法です。
 同じ被写体でも肉眼で見た時とファインダー越しに見た時、そして仕上がった写真を見た時では受ける印象はずいぶん違うことがありますが、いずれにしても全体から受けるイメージや印象を言葉にするといったやり方です。前の3通りのやり方のように、この部分がというよりは全体をボヤっと見た感じとでも言ったらよいのか、とにかく感覚とか感性に頼るという感じです。
 被写体として何が写っているかということよりも、全体の色とかコントラストとか、そういうものに影響されると思います。

 下の写真はニガナという小さな花を撮ったものです。

 「幸せの予感」というタイトルは、この写真全体から受ける印象をもとにしています。
 また、このようなタイトルは撮り手の感性によるところが大きいので、見る人はまったく違った印象を持つ可能性が大です。そのため、キャプションをつけています。

 「梅雨の合間の青空に黄色が映えて、何かいいことがありそうな気がします」

 このように、キャプションをつけることで撮り手が感じていることを伝える補助にはなりますが、だからと言って誰しもが同じように感じてもらえるわけではありません。理解不能などと思われてしまうことも考えられるということを承知しておいた方が良いと思います。

 とはいえ、このタイトルと写真がぴったりと合ったときは、それなりの訴求力があると思います。

説明的にタイトルをつける

 さて、タイトルのつけ方の5つ目ですが、これは写っている状況を説明するようなタイトルにするという方法です。
 説明するといっても、誰が見てもわかるようなことをそのまま表現しても効果的なタイトルにはなりません。例えば、湖のほとりに菜の花が咲いている写真に、「湖畔に咲く」という説明的なタイトルをつけても、言われるまでもないといった感じになってしまいます。

 偶然見つけたミズバショウの群落を撮った写真です。

 タイトルは「雪消水の潤い」です。
 雪消水(ゆきげみず)とは雪が解けて生じた水のことですが、その大量の水がこの場所に流れ込み、ミズバショウが育つ環境を作っているということを説明しようと思ってつけたタイトルです。
 湿地にミズバショウが咲いているのは写真を見れば明らかですが、それは冬の間に降った雪によってもたらされているということを伝えようと思いました。

 写真に写っている状況を直接的に説明するだけでなく、その状況を作り出すもとになっているものやそこに至るまでの経緯などを説明するようなタイトルにすることで、見る人にイメージを膨らませてもらうことが出来ると思います。

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 自分で撮った写真にタイトルをつけて、それを何度も眺めていると、しっくりくるものもあればちょっと違うなと思うものもあります。もし、違和感があればつけ直してみるも良し、また、違った視点でタイトルを考え直してみるも良しで、自分の写真を見直す良いきっかけになるのではと思っています。
 今回は日頃、私が写真にタイトルをつけるときに用いているやり方をご紹介しましたが、タイトルやキャプションのつけ方は自由です。自分の感性でつけるのがいちばんだと思いますが、できれば写真を生かすようなタイトルにしたいものです。

(2022年2月21日)

#フレーミング #写真観 #構図 #額装

写真にタイトルをつける(1) タイトルがもたらす効果

 デジタルにしても銀塩にしても、撮影した写真はパソコンやスマホで見たりプリントして観賞したりしますが、コンテストや写真展に出す以外はタイトルもつけられずに放っておかれることが多いのではないかと思います。
 しかし、写真はタイトルをつけて初めて完成するものだと思っています。もちろん、自分だけで観賞する写真にタイトルなんか必要ないという考えもあるかと思いますが、タイトルをつけると自分で撮った写真がちょっと立派になったように感じるのも事実です。撮影した写真すべてにつけることはありませんが、お気に入りの写真にはタイトルをつけてあげたいと思います。
 私が自分で撮影した写真にどのようにタイトルをつけるかということについて、私なりの考え方、やり方をご紹介したいと思います。あくまで私流であるということをご承知おきください。

「タイトル」をつけると写真が輝いてくる

 写真にタイトルをつけずに放っておく最大の理由は「面倒くさい」ということではないかと思います。タイトルをつけるというのは、管理番号や識別番号を振るように機械的にできるわけではなく、それなりに時間もかかるので面倒くさいと感じるのも確かです。
 また、タイトルのつけ方に決まり事があるわけではないので、どのようなタイトルをつけようと自由なのですが、かと言って何でもつければ良いというものでもなく、やはり写真が生きるタイトルにするのが望ましいわけです。

 一つの例として、赤いバラを撮影した写真を想定してみます。この写真に「薔薇」とか「赤いバラ」というようなタイトルがつけられているのを目にすることがあります。しかし、バラの写真を見てヒマワリだとかスミレだと思う人はいないでしょうし、赤いバラを白いバラだと思う人もまずいないでしょう。そのようなことはわざわざ言われなくてもわかるわけですから、タイトルとしては無意味とは言いませんが、決して効果的なタイトルとも言えません。
 また、バラは数万種もあると言われている一つひとつに固有の名前(有名どころでは、ピースとかクイーン・エリザベスとか)がつけられているようですが、それらをタイトルにつけても、植物図鑑ではないのでやはり効果的なタイトルとは思えません。

 写真というのは見る人にとっては二次元の画像だけですから、撮り手が撮影の際に持っていた情報のごく一部しか伝えることができません。それを補うことができるのがタイトルだと思います。
 撮影の際に見たことや聞いたこと、感じたこと、体験したこと、そして写真を通して伝えたいことなどをタイトルとして表現することで、見る人は画像だけでは感じ得ないその場の情景や雰囲気などをイメージすることができます。見る人がイメージを膨らますことで、単に画像だけを見せられた時と比べて全く違う写真に見えるはずです。これがタイトルによって写真が輝きを増す、あるいは写真が生きるということだと思います。

 タイトルをつけることで見る人に与える情報量の増加分は、文字数にして数文字というほんのわずかでしかありません。しかし、そのわずかに増えた情報量によって、見る人が描くイメージは何倍にも何十倍にも、もしかしたら何百倍にもなるわけで、それがタイトルの持つ大きな効果だと思うわけです。

 赤いバラの写真を例にと思いましたが適当なバラの写真がありませんでしたので、タンポポの綿毛の写真を例にしてみます。
 写真展のように、写真が額装されて壁にかけられている状態をイメージしてみました。

 このように写真だけを見せられた場合、まず、タンポポの綿毛ということはすぐにわかると思います。そして、下の方にスギナとかタネツケバナとかが写っているのと、画全体が比較的明るい緑色をしているので、春なんだろうなぁということぐらいはわかるでしょう。しかし、見る人にとって、それ以上にイメージは膨らまないのではないかと思います。

 では、この写真にタイトルをつけてみます。

 一つの例として、ここでは「旅立ちを待つ」というタイトルをつけてみました。

 このタイトルによって、もう間もなくするとタンポポの綿毛が飛んでいくのだろうということが伝わり、見る人はいろいろなイメージを描くことができます。空に舞い上がった綿毛を思い浮かべるかもしれませんし、綿毛がすっかりなくなった後の光景をイメージするかも知れません。それは見る人によって千差万別ですが、タイトルによってイメージが膨らむことは事実だと思います。
 もし、この綿毛をポンポンに見立てて、タイトルを「草むらのポンポン」とすると、全く違ったイメージになると思います。

 このように、写真にタイトルをつけることで、見る人のイメージを膨らませるとともに、写真から何を伝えたいのかをある程度、明確にすることができます。

さらに「キャプション」をつけることで写真の訴求力が高まる

 タイトルをつけただけでも写真の見え方はずいぶん変わってきますが、撮り手の想いをより伝えたい場合はキャプションをつけると効果的だと思います。
 キャプションは、タイトルによって写真を見る人が描くイメージをより大きくしたり、タイトルだけでは伝えきれないことを見る人に伝えることができます。
 その場の情景を説明的に書いたり、撮影した時に自分が感じたことや思ったことを書いたり、内容は自由で構わないと思いますが、あまり長い文章にしない方が良いと思います。長いと読みたくなくなってしまうので、パッと見て書かれている内容が把握できるくらいが効果的ではないかと思います。

 先ほどのタンポポの綿毛の写真にキャプションをつけてみます。

 例えば、「背伸びをして、新天地に向かう風が来るのをじっと待っているようです」というキャプションをつけてみました。

 このキャプションがあることによって、タンポポの綿毛が風に乗って飛んでいくというイメージをより強く描くことができるようになると思います。

 ただし、キャプションは必ずしも必要というわけではなく、見る人がイメージする自由度を大きくしたい場合はタイトルだけにしておいた方が良い場合もあります。見る人がどう感じるかは自由ですから、撮り手の想いをあまり無理強いしないようにすることも大切だと思います。

タイトルをつけることで自分の写真を見直す

 写真を撮るという行為をするということは、対象となる被写体を撮りたくなる何某かの理由があるわけです。風景や花などの場合は、「とにかく綺麗だから」というのが最も明確でわかり易い理由かもしれません。
 そして、綺麗だと感じたその被写体を四角の枠で切り取るわけですが、この時、どこをどのように切り取るかというところに撮り手の作画意図が働くわけです。同じ位置からの撮影であっても、カメラを少し上に振ったときと下に振ったときでは出来上がる写真に大きな違いがあります。

 下の2枚の写真は蕎麦畑の中の石仏を撮ったものですが、2枚とも同じポジションから撮影しています。

 左の写真はカメラを下側に、右の写真はカメラを上側に、それぞれ少しだけ振っています。同じ被写体ですが写真から受ける印象はまったく違います。いずれも主な被写体は石仏と蕎麦畑ですが、左の写真は蕎麦の花に囲まれており安らぐような感じがしますが、右の写真は寂寥感さえ感じます。被写体を見た時にどう感じたか、それをどのように伝えたいかによって撮り方が変わってくるということです。

 また、写真で伝えたいものが最初から明確になっていて撮影する場合もあれば、それほど意識をせずに撮影して、あとから伝えたいものを明確にしていく場合もあります。いずれにしても、自分で撮影した写真を何度も見て、いったい自分はこの写真を通して何を伝えたいのか、ということを自分自身に問うてみることは大切なことだと思います。

 そして、それをタイトルにして写真につけます。タイトルをつけるのが難しいということを良く聞きますが、その理由は大きく2つあると思っていて、一つは、そもそも写真で伝えたいものがはっきりしていないという状態、もう一つは、伝えたいものは明確になっているが、それをタイトルとしてうまく表現できないという理由です。
 後者はイメージを具体的な文字として表現するわけですから、いわばテクニックのようなものであって、これは何とでもなると思っています。問題は前者で、こちらはイメージすらないということですから、タイトル云々以前の問題です。

 撮影の段階で伝えたいことが、もっと言えば、つけるタイトルまでもがある程度イメージできているのが良いのかもしれませんが、魅力的な被写体を前にしたときは撮ることが精いっぱい、ということが多いのも事実です。
 自分で撮った写真をじっくり見直してみるというのも大切なことで、それによって撮影時の作画意図も徐々に明確になっていくものだと思います。

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 今回は、タイトルやキャプションが写真に与える効果について触れましたが、次回は、実際にどのような視点でタイトルをつけているかということについて書いてみたいと思います。

(2022年2月15日)

#フレーミング #写真観 #構図 #額装

レンズには魔物が潜んでいる...買っても買っても、またレンズが欲しくなるワケ

 「レンズ沼」とか「レンズ沼にはまる」という言葉があります。簡単に言うと、次々とレンズが欲しくなる症候群のようなもので、経験された方も多いのではないかと思います。かくいう私もレンズ沼にどっぷりとはまった経験があります。幸いにも以前よりは抜け出していると思うのですが、岸に這い上がっているかというとそんなことはなく、まだ体半分くらい浸かりながらもがいているといった感じです。
 ひと言でレンズ沼と言っても、その大きさや深さ、はまり方は人それぞれのようで、とにかく究極のレンズにたどり着くために次々とレンズを手に入れる人もいれば、コレクターアイテムとしてレンズを集める人もいるでしょう。

 私が最もはまった沼は35mm判カメラ用のレンズでした。私は主にコンタックス(CONTAX)のカメラを使っていましたが、そのほかにもペンタックスやライカ、トプコン、コンタレックス、エギザクタなどのカメラがごろごろとしており、それぞれのカメラ用マウントのレンズやM42マウントのレンズなどを数えきれないほど所有していました。
 なぜそんなに膨大な量になったかというと、レンズというのはそれぞれ異なった写りをするわけですが、そういったレンズの癖や特性を実際に味わってみたいというのが理由で、それが私の沼へのはまり方でした。

 新しいレンズ(ここでいう「新しい」とは新品という意味ではなく、それまで自分が持っていなかったレンズという意味であり、実際に私が手に入れたレンズの多くは中古品です)を手に入れると、いろいろなシチュエーションで撮影を行ない、色乗りやボケ方、収差などをみて、そのレンズの特徴を自分なりに理解するということをします。ですので、その工程が終わるとよほど気に入ったレンズ以外はそれ以降、陽の目を見る機会は極端に減ってしまいます。
 使わないのなら手放せば良いのにと思われるかもしれませんが、いったん手にしたレンズには愛着がわき、なかなか手放す気になれません。そのため、レンズは増える一方でした。しかし、数えきれないほどの量で、しかもあまり使うことのないレンズが多いとはいえ、リストアップしろと言われればすべて書き出すことができる状態でした。
 そして、被写体(私の場合、風景や花を撮ることが多いのですが)を目にしたとき、あのレンズで撮ればこんな感じに写るんだろうなぁと、頭の中でイメージしていました。今から思うとかなりアブナイ奴だったかも知れません。

 ところが今から6年ほど前、35mm判カメラとレンズのほとんどを一気に手放してしまいました。

 私は作品作りに使用するのは大判カメラか中判カメラで、35mm判のカメラを使うことはほとんどありません。かつては35mm判でスナップなどもよく撮っていたのですがそれも少なくなり、35mm判カメラを使用する頻度が著しく減ってきたのが手放した理由です。
 カメラやレンズに囲まれ、それらを手にするだけで何だか幸せな気持ちになりますが、やはり使ってこそ価値のあるものだというのが私の持論なので、ちゃんと使ってもらえる人のところに行った方が、カメラやレンズたちにとっても幸せだろうと判断した結果です。
 何台かは手元に残しておこうとも思いましたが、それとて使わないのであれば同じことなので、思い切って手放してしまいました。

 ということで、いま私の手元にある35mm判カメラはコンタックスT2と、2年前に中古カメラ店で衝動買いしたフォクトレンダーのベッサマチックだけです。
 T2はお散歩カメラとして使っていますが、ベッサマチックは完全にディスプレイ化しています。

 35mm判カメラとレンズを処分したことで、私の撮影用機材の量は1/3以下になりました。

 とはいえ、大判カメラ用レンズや中判カメラ用のレンズはまだたくさんありますし、大判レンズに至ってはいまだに微増しています。さすがにかつてのように、レンズの「味」を確認したいがために購入するというようなことはなくなりましたが、時どき、無性にレンズが、特に大判レンズが欲しくなる時があります。

 このビョーキのような状態がなぜ起きるのか、自分でもうまく説明できないのですが、やはり、これまでに使ったことのないレンズで撮影をしてみたいという衝動が最も大きな理由ではないかと思います。これはレンズの「味」を確かめたいということと根本は同じかもしれません。
 例えば、同じ焦点距離のレンズであれば、ニコンだろうとフジノンだろうと、あるいはシュナイダーであろうとほとんど見分けがつかないくらいの写りをします。厳密に見れば微妙な発色の違いとかボケ方の違いとかはありますが、一枚の写真だけを見せられて、これはどのメーカーの何というレンズで撮ったものかと問われても私には答えられません。半世紀以上も前のレンズで撮影したものであれば明らかに違うのはわかると思いますが、近年に作られたレンズはいずれも拮抗しているという感じです。

 そういったことを十分に理解しているにもかかわらず、フジノンのレンズで撮りたい、シュナイダーで撮りたいとか、あるいはローデンシュトックで撮れば...などと不埒なことを考えてしまいます。まるで、違うレンズで撮れば違った写真に仕上がるとでも言いたげです。レンズを変えたところで自分の写真の腕が上がるわけではないことぐらい、十二分にわかっているはずなのにです。
 こっちのレンズを使えば素晴らしい写真が撮れるよ、というあま~い悪魔の囁きが聞こえてきて、私の脳を麻痺させてしまうとしか言いようがありません。まさにレンズには魔物が潜んでいるという感じで、麻薬のような恐ろしさがあります。
 大判レンズの前玉をのぞき込んだ時の、あの吸い込まれるような神秘的な美しさがそう思わせるのかもしれません。まるでライン川の岩山にたたずむローレライのようです。

 35mm判は処分したものの、このように大判レンズの沼からはいまだに抜け切れずにいるわけですが、大判レンズの場合、35mm判のレンズのように数回使ってお蔵入りということはなく、使い続けるところが違っています。
 それは、35mm判レンズに比べると大判レンズの本数がずっと少ないのも使い続ける理由の一つかもしれませんが、何と言っても、そのレンズで自分なりに納得のいく写真を撮りたいという気持ちがあるからです。
 大判写真は構図決めにしても露出設定にしても、そしてピント合わせにしてもかなりの時間をかけて行ない、やっとシャッターを切るという状態ですから、そうして撮った一枚がイメージと違うものだとテンションが下がり虚しくなるとともに、とても悔しい気持ちになります。ほれぼれとするようなレンズで納得のいかない写真しか撮れないのであれば、レンズに対して申し訳ないという感じです。

 そしてもう一つ、時々、大判レンズを購入する理由として、予備のレンズを確保しておきたいということがあります。
 大判レンズはほとんどがディスコンになってしまい、徐々に修理もきかなくなりつつあります。最も切実なのはパーツが手に入らなくなることで、そうなると中古品から取るしかないということになります。そのために、比較的程度の良い個体をいくつか持っておく必要があります。これは極めて現実的な問題であり、魔物とは対極にある理由です。

 いずれにしても、自分に都合の良い理由を並べているにすぎないようにも思えますが、大判カメラや大判写真に興味がなくならない以上、このような状態が大きく変わるとは思えません。レンズ沼と一言で片づけてしまえば簡単ですが、私にとっては「魅せられた」という方が適切な表現かも知れません。
 大判カメラや中判カメラ、そしてそれらのレンズを手放す日はもう少し先になりそうです。

(2022年2月7日)

#中古カメラ

久しぶりのモノクロフィルムのリバーサル現像 イルフォード DELTA100

 ビューティーモデル1という骨董カメラの試し撮りの際、マミヤ6 MFにモノクロフィルムを入れて一緒に持っていきました。その時に撮った写真をリバーサル現像してみました。
 リバーサル現像は通常のネガ現像よりもプロセスが多くて手間がかかるのであまりやらないのですが、カラーリバーサルほど難しくはないし、リバーサルで見るモノクロも味わいがあるので、久しぶりにやってみました。

イルフォードの推奨プロセスで処理

 今回、撮影に使ったフィルムはイルフォードのDELTA100 PROFESSIONALです。シャープネスでキリッと締まった画像が得られるので、個人的には気に入っています。
 ということで、現像はイルフォードの推奨プロセスを参考に行ないました。イルフォードから提示されているプロセスは下記の通りです。

  1) 第一現像 : 20度 12分
  2) 水洗   : 20度 5分
  3) 漂白   : 20度 5分
  4) 水洗   : 20度 1分
  5) 洗浄   : 20度 2分
  6) 水洗   : 20度 30秒
  7) 再露光  : 片面30秒
  8) 第二現像 : 20度 6分
  9) 停止   : 20度 30秒
  10) 水洗   : 20度 30秒
  11) 定着   : 20度 5分
  12) 水洗   : 20度 10分
  13) 水滴防止 : 20度 30秒
  14) 乾燥

 なお、イルフォードの推奨プロセスには停止工程と水滴防止工程は記載されていませんが、これらは通常の現像でも行なう工程なので今回も入れています。

 現像液は「ブロモフェン」または「PQユニバーサル」が推奨となっていますが、手元になかったので今回はシルバークロームデベロッパーを使用しました。
 漂白液は過マンガン酸カリウム水溶液と希硫酸(硫酸水溶液)の混合液、洗浄液はピロ亜硫酸ナトリウム水溶液を使っており、これらはイルフォード推奨プロセスと同じです。
 また、定着液はシルバークロームラピッドフィクサーを使いました。

 全工程にわたり水温20度を保つというのは結構難しいので、いちばん影響のある第一現像だけは極力、20度に近い状態を保つように気をつけましたが、それ以外は±1~2度の変動があると思います。

黒が締まったイルフォードらしい描写

 リバーサル現像後のスリーブの写真です。ライトボックスにのせた状態で撮影しています(全12コマ中の9コマ)。

▲リバーサル現像後のスリーブ(ライトボックス上で撮影)

 モノクロフィルムを使うときはモノクロ用のフィルター(Y2とかYA3など)を装着することが多いのですが、今回はいずれも使用していません。
 コントラストもまずまずで、黒もイルフォードらしい感じが出ていると思います。

 下の写真は東京都庁の都民広場にある彫像「天に聞きく」です。

▲Mamiya 6 MF G 75mm 1:3.5 F5.6 1/30 DELTA100

 彫像にも建物にも陽があたっていないので全体的に軟調な感じがしますが、彫像のエッジは綺麗に出ているのではないかと思います。手振れが心配だったので絞りはF5.6で撮影していますが、もう一段くらい開いた方が良かったようです。

 次の写真は、新宿にある住友ビルの一階部分の天井です。屋根を支える鉄骨が描くラインが綺麗です。

▲Mamiya 6 MF G 50mm 1:4 F4 1/15 DELTA100

 屋内での撮影なのでコントラストはあまり高くありませんが、屋根から差し込む光で鉄骨に模様が描かれていますが、そこそこ綺麗に表現できていると思います。
 太陽が西に回り込んでこの屋根に光が差し込むと、よりアーティスティックな模様が浮かび上がるのではと想像します。

 さて、もう一枚は公園での一コマです。

▲Mamiya 6 MF G 75mm 1:3.5 F8 1/250 DELTA100

 斜光状態なのでコントラストが高めになっています。中央の地面は落ち葉が白く輝いており、飛び気味です。左右にある2本の木の幹は日陰になっていますが、ぎりぎりディテールが見て取れる感じです。

ネガ現像とリバーサル現像の比較

 同じフィルム(イルフォード DELTA100 PROFESSIONAL)で撮影し、普通にネガ現像したものとリバーサル現像したものとで違いがあるかということで、下の写真はネガ現像したものです。

▲Mamiya 6 MF G 50mm 1:4 F8 1/60 DELTA100

 電話ボックスを撮影したもので、同じ場所や同じ条件で撮影したわけではないので比較しにくいですが、ネガ現像したほうが黒の締まりが強いように感じます。光の条件が違うのでそう感じるのかもしれませんが、現像による影響もあるかも知れませんし、スキャナで読み取る際はネガ設定とポジ設定と異なりますので、その影響も考えられます。
 やはり、リバーサル現像の方が難しく、扱いを慎重にやらないと良い結果が出ないようです。

 参考に、リバーサル現像とネガ現像した写真の部分拡大を掲載しておきます。
 下の写真の1枚目がリバーサル現像(新宿住友ビル)の天井部分を拡大したもの、2枚目がネガ現像(電話ボックス)の自転車のハンドル部分を拡大したものです。

▲新宿住友ビルの写真の部分拡大
▲電話ボックスの写真の部分拡大

 粒状感やシャープネスなどに大きな違いは感じられません。

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 手間のかかるリバーサル現像ですが、スリーブをライトボックスで観賞できるのは便利です。それ以外にリバーサル現像するメリットはほとんど思いつかないのですが、いつもとは違うフィルムで撮影したような気持ちになれるので、気分転換にはなるかも知れません。

(2022年2月4日)

#イルフォード #ILFORD #モノクロフィルム #リバーサル現像