東京には中古カメラ店がたくさんあり、新宿、銀座、秋葉原から上野界隈は特に中古カメラ店が集中しているエリアです。
私もときどき、中古カメラ店をはしごしたり、ネットオークションで中古カメラを物色したりしますが、どうしても手に入れたいカメラやレンズを探し回ることとは別に、特段の目的もなく中古カメラを見て回るということも少なくありません。中古カメラ店にも様々なタイプがあり、中古とはいえ、新品と見まがうような程度の良いものばかりを置いているお店もあれば、ジャンク品も含めて何でもありというディープなお店もあります。
中古カメラ店もビジネスですから、いろいろな経営スタイルがあって当たり前ですが、私はジャンクもパーツも何でもありの混沌とした(失礼)お店が好きです。陳列棚の中に並べきれず、カメラの上にカメラを重ね、棚の奥の方には何があるのかわからないというような状態がとてもワクワクします。たぶん、何年もの間、来店した客から手に取ってもらうことはおろか見てもらうこともままならず、棚から取り出されることもなくじっと佇んでいたカメラやレンズがたくさんあるのではないかと思います。そして、そういった中にお宝のようなものがあるのではないかと思うと心が震えます。
実際にそういう中古カメラ店の棚の奥の方には、半世紀以上も前に作られたカメラがあったりします。また、ネットオークションでもそのようなカメラが出品されていることは珍しくありません。
しかし、概してこのようなカメラは捨て値同然の価格がついていることが多く、安いとはいえ購入したところで、多くはそのまま使える状態でないことは想像に難くありません。シャッターが切れないとか、低速シャッターが粘る、レンズにカビや曇りがある、ボディに錆や凹みがある等々、いくつもの症状がもれなくついてくるのはごく自然の成り行きです。
しかし、こういったカメラたちも綺麗に清掃したり、壊れているところを修理したりすれば、立派に使えるカメラになる可能性は十分にあります。レンズに大きな傷がついていたり、ボディがぼこぼこに凹んでいたり、あるいはパーツが破損していたりすると素人が直すのは困難ですが、少々汚れていたり動作が不安定という程度であれば、私のような素人でも修理の可能性は大です。ただし、最近のカメラのように電子回路などが組み込まれていると、たぶん私には修理は無理で、100%機械式のカメラに限られます。
そんな昔のジャンクカメラを中古カメラ店やネットオークションなどでゲットし、清掃したり修理したりして使えるカメラにするということにささやかな楽しみを感じてしまいます。
私が対象としているのは主に35mm判カメラと中判カメラですが、何十年も前のカメラの中には国産、舶来を問わず、見たことも聞いたことのないメーカーやブランドがあって、いつ頃に作られたのか、どんな会社が作っていたのか、あるいは、実際にどのような人が購入して使っていたのかなど、興味が尽きません。もちろん、いろいろ調べてみても多くの情報は得られないこともありますが、こんなカメラが存在していたんだという新たな発見は、私にとってとても新鮮に感じられます。
レンズの汚れやカビ、曇りなどは完全に取りきれないことも多いですが、根気よくやればずいぶんと綺麗になります。フォギーフィルターでもかけたような写真になるだろうと思われるほど汚れたレンズでも、清掃してすっきりとクリアになったのを見ると、なんだかとてもいい写真が撮れるのではないかという期待感が頭を持ち上げてきて、修理にも力が入るというものです。
また、シャッターまわりの不調がいちばん多いのですが、破損しているものは稀で、ほとんどが長年使用されなかったことによる動作不良です。分解して清掃し、必要に応じて注油などをすれば正常に動作するようになります。
可動部分が正常に動くようになると息を吹き返したように感じるもので、機械ものとはいえ、命が宿っているように思えるものです。
一通りの動作確認が済めば試し撮りです。
中判の場合は120フィルムを使って、66判であれば12枚の撮影なので実写確認には手ごろな枚数ですが、35mm判の場合、昔のように12枚撮りというフィルムがないので長尺から10枚分ほどの長さを切り出してパトローネに詰めて使います。
こうして撮影、現像したフィルムのコマを一つひとつルーペで見たり、スキャンしてPCの画面に映したりしながら、写り具合や光線漏れの有無などを確認します。画質の良し悪しはともかく、まともに撮影できる状態になったのを目の当たりにすると、何とも言えず嬉しい気持ちになります。
最後はお化粧です。古いカメラなので貼り革が剥がれていたり劣化していたりしているので、新しいものに貼替えます。
実は、ここまでの工程でいちばんお金がかかるのがこの張り革の交換です。カメラ自体は捨て値同然の価格で手に入れているのですが、張り革は購入しなければならず、これがカメラ以上に高額(といっても千数百円ですが)になってしまいます。
黒く艶のある新しい張り革に交換したカメラは見違えるように綺麗になります。貼り革のシボ加工はオリジナルのものとは変わってしまいますが、新しいものは気持ちが良いものです。
さて、綺麗になって使えるようになったこれらのカメラですが、それ以降は自分で使うことはなく手放してしまいます。
私の場合、そもそもが自分で使うために直すのではなく、ジャンクを使えるようにするということが目的なので、修理や清掃が終わってしまうとすっかり出番がなくなってしまいます。手元に置いておいてもディスプレイになってしまうだけなので、有効に使ってもらえるところに行った方がカメラも幸せだろうとの思いです。
中古カメラ店にもネット上にも中古カメラがあふれていて、程度の良い中古品は市場でも動きが早い印象がありますが、ジャンクカメラは滞留している度合いが強いように思います。自分で修理するためのジャンクカメラを探すにはとても恵まれた状態です。
中古市場からジャンクカメラを購入し、それを直してまた市場に戻すということをビジネスにしているわけではなく、それまで見向きもされなかったジャンクカメラを修理して使えるようになることで、誰かが手に取ってくれるとしたら、それはとてもありがたいことです。
機械仕掛けだけで動くカメラというのは本当によく考えられていて、あちこち錆だらけでボロボロになっているとか、修理不能なほど破損しているとかいうものはそれこそ不燃物としてやがて廃棄されてしまうかも知れませんが、そうでなければ修理して使うことができる素晴らしい工業製品だと思います。特に昔のカメラの場合、ハイテクが詰まった今のカメラとはまた違った技術の結晶のようなものが感じられ、ほれぼれとしてしまいます。
私も修理のプロではないので、直そうとして分解したところ、どうしても元に戻すことができずにオシャカにしてしまったということもあります。しかし、そういうカメラは廃棄せずに分解したパーツがなくならないように箱に入れて保管してあります。いつか、元に戻せる日が来るのではないかという淡い期待とともに。
(2022.11.3)
僕の手元にも、もう治らないカメラやレンズがあって、どうしたもんかと思っています。不燃物として捨てるには忍びないし、お金をかけて修理するほどの価値はないものです。
こぼうしさんと同じく、何となく、そのまま保管している状態です。
うたろうさん
いつもありがとうございます。
カメラやレンズはたとえ壊れていてもなかなか捨てられないですよね。
家電なんかだと壊れてしまったものはすぐに捨ててしまうのですが、何故かカメラはそういうわけにはいきません。
捨てずにとっておいたところでどうにかなるとも思えませんが、愛着が湧くということなんでしょうか?