山笑う 初夏の輝く新緑を撮る

 俳句の春の季語に「山笑う」というのがあります。山の草木が一斉に若芽を吹いて、山全体が明るい景色になる様子を表現した言葉と言われています。それまでは幹や枝ばかりで寂しげだった山が一変する様子を見事に表現していると思います。
 確かに初夏の山の色合いは鮮やかでやわらかで、何ともいえない美しさがあります。日を追うごとにその色合いは濃さを増していき、若葉の色を愛でることのできる期間は長くはありません。秋の紅葉のような華やかさはありませんが、新緑を見ていると生命のエネルギーを感じます。
 そんな初夏の新緑を撮ってみました。

 ちなみに、夏の山を形容する季語は「山滴る」と言うそうです。あらためて、日本語の豊かな表現に感じ入ってしまいます。

芽吹きを撮る

 木の種類によって若干の違いはあるものの、まるで申し合わせたように一斉に芽吹いて、森全体が淡い黄緑色に染まっていきます。硬かった芽が膨らんで芽吹きが始まると、わずか数日ですべての葉っぱが開ききってしまいます。
 下の写真はカエデが芽吹いて間もないころに撮影したものですが、まだ開ききっておらず、畳んだ傘のような恰好をしています。少し前までは茶色っぽい硬い芽だったにもかかわらず、そこからこんなに大きな葉っぱが出てくるのですから、まったくもって自然の力は偉大で不思議です。見ようによってはさなぎから羽化したばかりの蝶のようにも見えます。

▲PENTAX67Ⅱ SMC PENTAX67 200mm 1:4 F5.6 1/60 Velvia100F

 背後にはブナやクヌギなどの木があり、いずれも芽吹きが進んでいて、褐色の木の幹や枝ととても美しいコントラストをつくり出しています。どれも同じような淡い黄緑色ではありますが、種類によって微妙に色合いが異なっていて、そのグラデーションもとても綺麗です。

 このような写真を撮る場合、被写界深度を深めにして出来るだけ多くの若葉にピントを合わせるか、逆に被写界深度を浅くして、ごく一部の若葉だけにピントを合わせるか、悩むところです。前者の場合は状況がわかる写真になりますが、若葉が背景に埋もれ易くなってしまいます。また、後者の場合、若葉は浮かび上がってきますがその場の状況はわかりにくくなってしまいます。
 新緑の風景として撮るのであれば、ある程度の広範囲を写す必要がありますので、森全体が芽吹きの時期を迎えているということがわかりつつも、出来るだけ多くのカエデの若葉にピントを合わせたいということで撮りましたが、もう少し背景をぼかしたかったというところです。

 もっと広い範囲で森の芽吹きの様子を撮ろうと思い、撮影したのが下の写真です。

▲PENTAX67Ⅱ SMC PENTAC67 55mm 1:4 F16 1/15 Velvia100F

 この写真は露出をかなりオーバー気味(+2段ほど)にしています。実際の森の中はこの写真ほど明るくはないのですが、若葉を明るく写したかったので思い切って露出をかけてみました。木々の幹の色も白っぽくなり重厚さが失われておりますが、この時期の爽やかな感じを狙ってみました。しかし、やはり全体に飛び気味です。

新緑の大樹を撮る

 大樹というのはそれだけで存在感に溢れていて、四季を通じて魅力のある被写体の一つです。
 このような大きな木の全体を撮ろうとすると、被写体からかなり離れなければなりません。しかしそうすると、ぽつんと生えている一本桜のようなものでもない限り、周囲の木々も写り込んでしまい、焦点の定まらない写真になってしまいます。
 ですが、周囲を大きな木に囲まれていてもまさに紅一点の例えのように、その一本だけが異彩を放っていると遠くからでもとてもよく目立ちます。

 これはケヤキの大木ではないかと思うのですが、周囲を杉などの針葉樹に囲まれている中でとても目立った存在でした。

▲Linhof MasterTechnika 45 FUJINON T400mm 1:8 F32 1/30 PROVAI100F

 逆光に近い状態であり、ほぼ真上方向から太陽の光が差し込んでいて、開いたばかりの若葉が黄色く輝いています。周囲が黒っぽく落ち込んだ色調なので一層目立っています。
 隣にある若干赤っぽく見える木は山桜ではないかと思うのですが、定かではありません。

 この木がある場所は山の北側の急斜面です。それを数百メートル離れた場所から望遠レンズで撮りました。若干短めのレンズを使って、もう少し広い範囲を写した方が窮屈さがなくてよかったかもしれませんが、大樹の存在感を出すにはこれくらいの大きさの方が望ましいようにも思います。
 周囲の杉は植樹されたものだと思いますが、このケヤキや桜だけは伐採されずに昔からここにあったのでしょう。神が宿っているのではないかと思える大樹です。

川面への映り込みを撮る

 渓流や滝などに限らず、水の流れを見るとなぜか無性に撮りたくなります。何故そう思うのか、うまく説明できないのですが、水は命をはぐくむためになくてはならないものだということがそう思わせるのかも知れません。
 もちろん、植物にとっても水は欠かせない存在であり、水と植物の組合せというのは不思議な魅力があります。雨上がりの生き生きとした植物の姿はその代表格かも知れません。
 また、湖面などに写り込んだ景色も素敵で、単に樹だけを見ているよりも趣を感じるから不思議なものです。

 下の写真は清流の上に張り出している木の枝ですが、そこにに光が差し込み、川面に写り込んでいる状態です。

▲Linhof MasterTechnika 45 FUJINON W250mm 1:6.3 F22 1/60 Velvia100F

 この川は水がとても綺麗で、川底の石の一つひとつがわかるくらいです。水深も浅いうえに流れが穏やかなので、まるで湖面のように新緑を映し込んでいます。若葉を透過してきた黄緑色の光が川面に降り注いでいるため、水が黄緑色に染まっているように見えます。それどころか、この渓流全体の空気までも黄緑色に染まっているような錯覚を覚えます。
 黄緑色の光の感じを損なわないように露出はオーバー目にしていますので、若葉はかなり飛び気味です。少々、葉っぱの質感が失われてしまっていますが、葉っぱを適正露出にすると全体が暗くなってしまい、全く雰囲気の異なる写真になると思います。

 夏になり、葉っぱも濃い緑になるとこのような輝きは見られなくなてしまいます。それはそれで違った美しさがありますが、葉っぱ自体が発光しているような輝きを見ることができるのも新緑ならではです。

多重露光で撮る

 一口に多重露光と言ってもその表現方法は様々で、全く違う画像を重ね合わせるアート的なものもありますが、私が時々撮るのは、同じ場所で複数回の露光をするという最も簡単な方法です。もちろん、同じ場所で複数回の露光をするだけでは露光時間を長くしたのと変わらないので、1回目と2回目の露光でピント位置を変えて行ないます。ピントを外して露光するとぼやけるので、これを重ね合わせるとソフトフォースレンズで撮ったような雰囲気の写真になります。

 新緑の中にツツジ(たぶんミツバツツジではないかと思います)が一株だけ咲いていたので、これを多重露光で撮ってみました。

▲KLinhof MasterTechnika 45 FUJINON W150mm 1:5.6 F32 1/60、F8 1/250

 1回目は被写界深度をかせぐために出来るだけ絞り込んで撮影し、2回目は少しピントを外し、絞りも開いて撮影しています。
 2回とも適正露出で撮影すると結果的には2倍の露出をかけたことになり、若干露出オーバーになりますが、この新緑の鮮やかさを出すためにその方が望ましいだろうということで補正はしていません。
 また、2回目は前ピン(近接側)に外しているので、周辺部の方が画のずれが大きくなり、大きくボケているような印象になりますし、暗いところよりも明るいところのボケの方が大きく感じられます。

 このような多重露光の方法の場合、ぼかし具合と露出のかけ方によってずいぶんと印象が変わってきますが、全体的に柔らかな感じになるのと、メルヘンチックな描写になる傾向があります。被写体によっても印象が変わりますので、いろいろ試行錯誤してみるのも面白いかも知れません。

マクロで撮る

 マクロ写真はまったく違った世界を見せてくれるので、その魅力に取りつかれてしまうことも多いのではないかと思います。だいぶ前になりますが私もマクロ撮影にはまってしまい、一時期はマクロ撮影ばかりやっていたことがあります。私の場合、その被写体のほとんどは花でしたが、単に小さな世界を写し取るというだけでなく、たくさんの表現手法を使うことができるのも魅力の一つかも知れません。

▲PENTAC67Ⅱ SMC PENTAX67 200mm 1:4 F4 1/125 EX3 PROVIA100F

 上の写真は初夏に小さな白い花をつけるドウダンツツジです。公園の生け垣などにもよく使われているので身近な被写体といえると思います。
 朝方まで降っていた雨のため、葉っぱや花のあちこちに水滴が残っており、とてもいいアクセントになっています。また、水滴のおかげで玉ボケもできて、画に変化を与えてくれています。

 マクロ撮影の場合、被写界深度が非常に浅く、ピントの合う位置は一点のみといっても良いくらいですが、写り込む要素が多すぎると画全体がうるさくなってしまうので、主要被写体以外は出来るだけ大きくぼかしておいた方がすっきりとした写真になります。
 ドウダンツツジはたくさんの花をつけるので、画がゴチャゴチャしないように一輪だけひょんと飛び出した花を狙って撮りました。もちろん、前後に葉っぱもたくさんあるのですが、これらは大きくぼかして初夏の印象的な色合いになるようにしました。真っ白で清楚な感じのする花も綺麗ですが、新緑の鮮やかな色あいが爽やかさを感じさせてくれます。

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 新緑だからといって特別な撮影方法があるわけではなく、自分なりの表現手法で撮ればよいわけですが、いざ撮ろうとすると意外と難しいと感じるのも事実です。その美しさに自分の気持ちばかりが先走っているのかも知れません。
 自分の腕はともかく、新緑の美しさが格別なのは言うまでもありません。一年のうちのわずかの期間だけしか見ることのできない新緑の芽吹きは代えがたいものがあります。秋の紅葉も綺麗ですが、刹那の美しさという点では新緑は群を抜いているように思います。

 標高の低いところでは新緑の季節はすっかり終わってしまいましたが、高山に行けばまだ見ることができます。行くまでが大変ですが、高山の新緑はまた格別です。

(2023.5.15)

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大判カメラでの撮影をより快適にするための、ちょっとした工夫のあれこれ

 大判カメラを使って撮影をしていると、いろいろと不便に感じたりすることがたくさんあります。それは、最近のデジタル一眼レフカメラなどと比べると便利な機能や装備が圧倒的に不足しているため、様々な小道具が必要になることであったり、それが故に、何かと手間がかかったりといったようなことです。大判カメラとはそういうものだと割り切ってしまえばどうってことはないのですが、とはいえ、出来るだけ手間がかからず、便利であるに越したことはありません。

 たいそうな機材や装備を用いずとも、ちょっとしたことで便利になったりすることもありますので、私が日ごろから用いているものをいくつかご紹介します。
 必ずしも大判カメラに限ったことだけではありませんが、大判カメラがゆえに気になることもたくさんあるということで。

水準器のキャリブレーション

 大判に限らず、写真というのは水平が傾い置ていると、それを見た時にとても違和感を感じるものです。このような傾きに対して人間の眼はとても敏感で、ほんのわずかな傾きでも感じ取ってしまいます。ですので、特別な表現の意図をもって写す場合はともかく、一般的に水平が傾いた写真は失敗作と言わざるを得ません。
 今のカメラは電子水準器を内蔵しているものが多く、これを頼りにすれば傾いた写真を防ぐことは容易にできますが、大判カメラにはそのようなものがついていないので、昔ながらの気泡が入った水準器を使って水平を確認するということが必要になります。
 カメラや三脚、雲台などに水準器が組み込まれているものもありますが、小さいものが多く、微妙な水平の確認をするには便利とはいえません。

 撮影の際、私は常に水準器を持ち歩いていて、これでカメラの水平を確認するようにしています。
 水準器の値段も100円ショップで購入できるような安価なものから、高い精度で作られたかなり高額なものまでいろいろありますが、私の使っているものは通販で購入したとても安価なものです。
 水準器自体がいくら高精度であっても、カメラに取付けた際に水平が確認できなければ意味がありません。ですので、安かろうが高かろうが使用する際にはキャリブレーション(調整)が必要であり、キャリブレーションができていれば安いものでも全く問題ないと思っています。

 水準器のキャリブレーションは特に難しいことではなく、最も簡単で確実な方法は、海に行って水平線を基準に確認することです。
 手順としては、まず水平線をカメラのフォーカシングスクリーンの横罫線に合わせます。これでカメラの水平が保たれた状態になります。
 次に、水準器をカメラ上部の平らな部分に置きます。この時、水準器内の気泡が2本の線の中央にあれば問題ありませんが、気泡の位置が左右のどちらかにずれているとしたら、その気泡の位置がそのカメラの水平を示していることになります。ですので、もともと水準器に刻まれていた線は無視して、新たに気泡の位置に合わせて水準器に線を書き入れます。これでキャリブレーションは完了です。
 ただし、水準器を置く場所を変えると傾きが変わる可能性もありますので、キャリブレーション後は水準器の置く位置を常に同じ場所にする必要があります。

 しかし、これを行なうためにはわざわざ海に出向かなけらばならず、海から遠いところに住んでいる場合はなかなか骨の折れる仕事です。
 そこで、家の中にいても同様にキャリブレーションができる方法があります。

 家の中で完全な水平をつくり出すことは難しいですが、垂直であれば簡単に作ることができます。
 タコ糸などの先に重りをつけて、もう一端を部屋の壁の高いところや天井などに固定して吊るします。この時、重りをつけた糸は完全な垂直状態になっているので、この糸とカメラのフォーカシングスクリーンの縦罫線とを合わせることでカメラの垂直が保たれます。つまり、カメラの水平が保たれたのと同じ状態になります。なお、フォーカシングスクリーンを縦位置にしておいた方が、より正確に垂直を確認できると思います。
 それ以降の手順は水平の時と同様です。

 このキャリブレーション方法は、使用するカメラと水準器の関係において水平を担保するものであって、水準器の絶対的水平を保証するものではありません。ですので、使用するカメラが変わったり、同じカメラでっても水準器の置く位置が変わってしまうと意味がなくなってしまいます。

大判カメラに取っ手(ベルト)を取付ける

 木製のフィールドタイプの大判カメラは、本体の上部に取っ手がついているものが多くあります。
 一方、金属製のフィールドタイプの大判カメラの場合、取っ手は本体の側面についているものが多いように思います。これはこれで、カメラをホールディングするときには便利なのですが、カメラをバッグに出し入れする場合は使い勝手が良くありません。使用するカメラバッグの形態や慣れなどによるところも大きいのでしょうが、カメラをバッグから取り出し、三脚に固定する一連の操作のやり易さを考えると、取っ手はカメラ本体の上部についている方がはるかに便利です。

 ということで、私が使っている金属製のフィールドカメラの上部には取っ手(ベルト)を取り付けてあります。

 使用している素材はカメラのネックストラップの両端の細いベルトの部分です。あちこち傷んできて捨てようと思っていたネックストラップの先端の部分を切り取って再利用しています。
 リンホフマスターテヒニカ2000の本体上部側面にはアイボルト(丸環ボルト)のようなものがついていて、これにベルトを取付けています。
 アイボルトに通してある台形をした金属のリングは、大型のゼムクリップを使って自作したものです。そこにネックストラップの細いベルトを通し、バンドリングで固定してあります。

 この取っ手(ベルト)はカメラの出し入れの際にしか使用しないので、軽くて邪魔にならない存在でありながら、カメラの重さに十分耐えられなければなりません。それを満足するということで、ネックストラップの素材は打ってつけです。また、水に濡れても全く問題ありません。
 この取っ手のおかげでカメラの出し入れはとても楽になりました。さすがにこの取っ手を持って、カメラをブラブラさせながら歩くことはしませんが。

カメラバッグの蓋を自立させる

 私はバックパック型のカメラバッグと、ショルダー式のアルミケースを持っていますが、圧倒的に使用頻度が高いのはバックパック型です。両手がフリーになるので便利なのと、同じ重さであっても、片方の肩にかけるよりは背負ったほうが軽く感じるからです。
 私が愛用しているバックパック型はロープロ Loweproのプロトレッカー BP450AW Ⅱというバッグで、機能的にもデザイン的にもとても気に入っているのですが、唯一気になっているのは、バッグの蓋を半分くらい開いた状態で保持できないということです。ナイロン素材でできているため仕方のないことですが、大判カメラを使っているとバッグから物を出し入れする回数が多いので、これが思いのほかストレスになります。
 45度くらい開いた状態で固定出来たらどんなにか便利だろうとずっと思い続けていました。

 そして思いついたのが、自動車のボンネットを開いたときに支える支柱のような方式です。

 大がかりなものにすると重くなるので、重量的には誤差の範囲内で簡単に支えられるものということで、針金ハンガーを伸ばしてコの字型に曲げ、カメラバッグの蓋の内側に配線クリップでとめただけの極めて単純なものです。
 バッグの蓋を45度くらいに開いた状態で、この針金ステーの先端をバッグの内側にある保持部に差し込めば蓋は固定されます。保持部はマジックテープに短く切ったストローを貼りつけただけのもので、この位置を変えれば蓋の開度も変わります。

 これまでは、開いた蓋を片方の手で持っていなければならなかったのですが、これのおかげで両手で物を出し入れすることができるようになりました。片手だとうまく取り出せなかったり、落としてしまったりということもあったのですが、そういうこともなくなり、ストレス解消です。

大判レンズ用の格納箱

 大判レンズにはレンズボードがついていて、レンズ自体は小ぶりであってもレンズボードがあるために収納効率はあまりよくありません。カメラバッグに入れるときなどは出来るだけ隙間が少なくなるようにしたいのですが、なかなかうまい方法がありません。
 全く頓着することなく、レンズをバッグの中にゴロゴロと入れている方もいらっしゃって、私も試したことがありますが、レンズ同士がひっかってしまって取り出しにくいとか、目的のレンズを探しにくいとかがあり、使い勝手はあまり良くないというのが実感でした。

 ということで、いろいろと試行錯誤した結果、レンズがすっぽりと納まる直方体の箱が最も便利だという結論に至り、今はこの方法を用いています。

 箱は薄手(厚さ2mm程度)の段ボールを切り出し、レンズボードがついたレンズの寸法に合わせて箱にしているだけです。
 #0と#1シャッターのレンズの場合、箱の深さはリンホフ規格のレンズボードの高さが入る約100mm、横幅はレンズボードの幅の約96mm、長さは入れるレンズの全長に合わせています。
 一方、#3シャッターはボード幅よりも大きいので、深さは同じにできますが横幅は大きくしなければなりません。
 また、箱の内側にはレンズ名や焦点距離を書いておき、お目当てのレンズがすぐにわかるようにしてあります。

 この箱をカメラバッグの中に並べて詰めていくことで、カメラバッグの中でレンズが躍ってしまうようなこともありません。
 段ボール自体はとても軽いのと、内部が空洞になっているため若干のクッションの役目も果たしてくれます。もし、衝撃が気になるようであれば箱の底に厚さ2~3mmのクッション材を敷いておけばかなり効果的だと思います。

三脚に蓄光テープを巻き付ける

 私が主に使っている三脚はベルボンのジオ・カルマーニュN830という製品ですが、結構大型の三脚です。三脚は当然のことながら、脚を伸ばせば伸ばすほど、3本の脚が地面に描く三角形の面積も大きくなります。
 大判カメラでの撮影の場合、いろいろな小道具を使うので、カメラバッグはできるだけ三脚の真下あたりに置いておきたいのですが、足元の状態によっては脇の方に置かなければならないこともあります。その結果、カメラとバッグの間を行ったり来たりすることになります。
 昼間の明るいときであれば何ら問題はないのですが、夜の撮影時などは足元も暗いので、三脚の脚が見えずに蹴とばしてしまうこともあります。三脚を倒してしまうようなことはありませんが、せっかく構図決めやピント合わせをした後だったりすると、もう一度やり直さなければなりません。

 そこで、暗闇でも三脚の先端がわかるように、蓄光テープを巻き付けてあります。

 これは、光にあてた後は暗闇でも発光し続けるので、とても目立ちます。明るさは徐々に落ちていきますが、それでも1時間くらいは十分な明るさを保っていますし、もし、暗くなってしまったら懐中電灯などの光を当てると、再度蓄光されて明るく光るようになります。
 三脚だけでなく、カメラバッグなどにも貼っておけば目印になると思います(私は貼っていませんが)。

 また、人通りが多い場所での夜間撮影の時など、三脚を立てておくと前を通った人が脚に足を引っかけてしまう心配もあります。もちろん、細心の注意を払って三脚を立てるべきですが完璧というわけにはいかず、そんなときも緑色に光っていれば、多少なりともそういった事故を軽減することができるかも知れません。

カメラバッグ内を明るくする照明

 これも夜間撮影時のためのものですが、カメラバッグの中が暗くて物が見えにくいというのは不便なものです。私は夜間撮影時にはネックライトを使っていますが、バッグ内を隅々まで照らすには光量不足です。明るくするためにはかなり腰をかがめなければなりません。
 バッグの中全体を明るく照らしてくれるような照明を取付けようと思い、通販サイトで探してみました。

 最近は小型でも明るいLEDライトがとても安い金額で購入することができ、しかも驚くほどたくさんの製品に溢れていて目移りしてしまうのですが、とにかく小型のものということで長さ10cmほどのLEDライトをゲットしました。

 電源はモバイル用の予備バッテリーを使います。以前、とあるメーカーからもらったものですが、全く使っていなかったので、今回デビューです。
 これをマジックテープでカメラバッグの蓋の内側に取付けてあります。

 LEDライトにはスイッチがないのですが、バッテリーにはスイッチがついているのでオンオフが可能です。蓋を開けたら自動で点灯っていうのが理想ですが、それほど頻繁に使うものではないので良しとしましょう。
 バッテリーの容量とLEDライトの消費電力から計算すると、フル充電された状態で10時間以上使えるようなので、長時間の夜間撮影でも問題ありません。
 実際に点灯させると予想以上に明るく、バッグ内は隅々まで見えるどころか、明るすぎて恥ずかしいくらいです。

 マジックテープでとめてあるだけなので取り外しも簡単にでき、懐中電灯の代わりにも使用できます。

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 大判カメラに限ったことだけではないとは言いながら、最新の35mm判の一眼レフを使っていれば、それほど気にならないことも事実です。機材の進歩は撮影時の状況を変えてしまうのは言うまでもありませんが、今更ながら大判カメラは何かと手間がかかるということです。
 だからこそ、長年使っていると気になったり不便に感じたりということが出てきますが、今の時代、大判カメラに関する新製品やグッズが発売されるなどということは望むべくもなく、自分で工夫するしかないといった感じです。
 それはそれで楽しいことでもありますが、所詮は素人が思いつきでやっていることですから他愛もないことでもあり、すべてがうまくいくわけでもありません。それでも、昨日よりも少しは良くなったという自己満足も大事なことかと思っています。

(2023.5.8)

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