わかるようでわからない、写真の「空気感」について思うこと

 どの業界にも、そこに携わる人以外にはなかなか理解しがたい「業界用語」なるものがあります。中にはすっかり市民権を得てしまった業界用語などもありますが、多くは一般の人が使うことは稀です。業界用語はその道の専門家が使ってこそ効果的であり、一般人が使っても浮いた感じに聞こえてしまいます。

 写真の世界にも業界用語なるものがあり、写真やカメラを職業にしている方々は日常的に使っていると思います。しかし、職業にしていなくても写真やカメラを趣味としている人は非常にたくさんいるわけで、こういった人たちの間にも業界用語、というよりも写真用語と言った方が適切かもしれませんが、それが良く使われています。この辺りが、他の業界用語とはちょっと違っているところではないかと思います。

 もちろん、写真業界の用語と言っても非常に多岐に渡っているわけですが、中でもわかりにくいのが写真そのものを表現する用語です。
 写真を見て、「抜けがいい」とか「甘い」とか、「透明感がある」、「シズル感に満ちている」などと表現する人は多いと思います。写真をやらない人からすると何言ってるのかほとんどわからないと思いますが、写真をかじったことのある人であればほぼ通じますし、わかりにくい中でも比較的わかり易い言葉だと思います。

 例えば、「抜けが良い」というのは「クリアですっきりとした描写の写真」という認識の人が多いでしょうし、「甘い」といえば「ピントが合っていない、なんとなくボケている」といった理解だろうと思います。
 これらはある程度、物理的に説明ができる(例えば、低周波のコントラストが高くなると抜けが良く感じるなど)ので、人によって認識が大きく異なるということがないと思われます。平たく言えば、説明がし易い、ゆえに理解し易いということでしょう。

 これに対して、非常にわかりにくいのが「空気感」という言葉です。
 この言葉の意味を調べてみると、圧倒的に多いのが「その場にいるような感じ」とか、「その場の雰囲気」という説明です。これらの説明からすると、「臨場感」のようなものを指しているように思ったりもします。

 しかし、私は常々、これらの説明には100%うなずけないものを感じています。

 同じく「空気」という単語が使われている言葉に、「空気までも写し取るような」という表現があります。カール・ツァイスのレンズを評価するときによく使われている印象があるのですが、これは「空気感」とは全く違うと思っています。「空気までも写し取る」とは、人間の目では見えないものまでも写すほどのレンズ、ということの例えであり、そのレンズの性能のすばらしさを表現しているのだと思います。

 しかし、「空気感」はレンズの性能を表現しているのとは少し違います。

 多くの説明にあるような「その場にいるような感じ」ということであるとすると、例えば、気持ちよく晴れ渡った広大な風景写真を見ると、爽やかな風や暖かな日差しを感じるとか、逆に、雨に煙る薄暗い森の中の写真を見ると、しっとりと湿った空気を感じるなど、写真を見ることで過去に似たような環境にいたことのある経験が思い起こされ、そういったことが感じられるということではないかと思います。

 一方、「その場の雰囲気」ということであるとすると、気温とか湿度とかではなく、結婚式やお祭りでたくさんの人の笑顔が写っている写真を見て、その場が非常に楽しそうであると感じるとか、逆に、夕暮れの街角にたたずむ人を写した写真を見て、寂しさのようなものを感じるということでしょう。「空気を読む」という表現がありますが、その「空気」の意味と似通っているかもしれません。

 前者は、物理的に感じ取れるもの(暖かいとか湿度が高いとか)であり、後者は心が感じるもの(楽しそうとか寂しそうとか)です。
 どちらも「感じる」という意味では共通しており、これらをいずれも「空気感」であるとするならば、次のようなシチュエーションの写真があったとしたら、その「空気感」というのは何と言ったらよいのでしょう?
  ・良く晴れた日に、
  ・どこまでも広がる草原で、
  ・鼠色のスーツを着たオジサンたちが、
  ・憂鬱な顔を突き合わせ、
  ・ぐったりした感じで、
  ・ミーティングをしている。

 このような例えは詭弁かも知れませんが、私が「空気感」に対する多くの説明に違和感を覚えるのはこのようなことが理由です。

 では、私にとっての「空気感」とは何かを説明してみろと言われてもうまく表現できず困ってしまうのですが、正直なところ、そもそも私自身が「空気感」という感覚なるものを明確に持っているかどうかも怪しいといったところです。

 「空気感」という表現をいつ、誰が用いたのかは知りませんし、当初、この言葉がどういうものを指して使われたのか、いろいろ調べてみましたが不明です。
 私自身、「空気感」というものが良くわかっていないので普段使うことはほとんどないのですが、かといって全く「空気感」の存在を否定しているわけではありません。だれが作った言葉かわかりませんが、「空気感」なるものがまったく荒唐無稽なものではなく、写真の中に何となく存在していると感じているのも事実です。

 うまく説明できないのですが、良くわからないながらも私が思う「空気感」というのは、その場の雰囲気とかではなく、「物理的に立体感のある空間が存在していることが感じられる」ということではないかと思っています。

 私が撮る写真のほとんどはフィルム写真ですが、私がフィルムに拘っている理由の一つはデジタル写真にはない奥行き感とか立体感があるからです。写真は所詮、二次元の世界ですが、同じ二次元でも奥行きを感じる画像と感じない画像があります。個人的には「空気感」というのはこの奥行き感や立体感と密接に関わっているのではないかと思います。

 しかし、奥行き感や立体感があれば空気感が感じられるかというとそうではなく、似ていながらもこれらはまったく別物だと思っています。
 例えば、テーブルの上に置いたさいころだけを撮っても立体感は感じるかもしれませんが、空気感を感じるようには思えません。

 すなわち、お互いに距離が離れているものの間には当然のことながら「空間」が存在するわけですが、写真の中にこの「空間」を感じられるかどうかということではないかというのが私の「空気感」に関する勝手な持論です。
 空間を感じさせる要素というのは一つではなく、色とかボケとか解像度、あるいは位置関係など、いろいろあると思うのですが、そういう要素が組み合わさって二次元映像の中に空間が生み出されたように感ずるということではないかと思うのです。
 近景の色ははっきりとしているが遠景は全体的に淡い色合いをしているとか、近くの被写体はバリバリに写っているが、遠くはボヤっとしてるとか、そういうことが複数積み重なることで空気感なるものが生まれるのではないかと思っています。
 最初に「空気感」という表現をした方がどのような意図をもっておられたかは存じ上げませんが、私がその言葉から感じ、自分なりに理解するのは以上のようなことです。

 「空気感」に対する私の見解が正しいとも思っていませんし、人によって様々な意見やとらえ方があるだろうということも十分に認識していますので、あくまでも私の個人的、かつ、何の裏付けもない勝手な意見ということで軽く流してください。まったくもって自分自身の感覚的な話しであります。

 とは言いながら、常に頭のどこかで「空気感」に対するモヤモヤした感覚が存在していることも事実です。いろいろと情報を集め、感覚的ではなく科学的に説明ができるようであれば、あらためて投稿してみたいと思っています。

(2021年6月8日)

#写真観 #空気感