気象庁による桜の開花宣言というものがいつごろから始まったのかわかりませんが、毎年、3月半ばごろになると東京の靖国神社にあるソメイヨシノの標本木を気象庁の職員の方が目視で観察して、桜が開花したかどうかを伝えてくれています。それをテレビで中継するものですから最近ではギャラリーも増えて、開花宣言がされると拍手が沸き上がるという何とも微笑ましい光景を見ることができます。
そして、このような行事(?)は各地の気象台でも行なうような広がりを見せており、日本国民にとって桜の開花は一大イベントとなった感があります。
私は地元である東京の桜が終わると、毎年のように東北方面に桜の追っかけに出かけます。さすがに新型コロナが流行っていたときは控えましたが、一昨年から再開し、今年も東北の桜を追いかけています。福島県からスタートして青森県まで北上していきます。
今年(2025年)は昨年に比べて4~5日ほど桜の時期が遅いように思いますが、それでも平年に比べると早いのだそうです。年々、桜の開花が早まっていて、専門的なことは私にはわかりませんが、やはり地球温暖化と言われるように、日本も温帯から亜熱帯に変わりつつあるのかもしれません。
毎年、桜の追っかけをしていて感じるのですが、年々桜を見に来る人が増えているように思います。新型コロナが流行っていた数年間は激減したのでしょうが、その後は以前にも増して多くの人が訪れるようになったと思います。とくに有名どころは大変な賑わいで、東北でいうと福島県の三春滝桜や、岩手県の北上展勝地、秋田県角館の武家屋敷、青森県の弘前城跡公園などはちょー人気スポットで、桜もすごいが人もすごいといった感じです。日本人も多いのですが圧倒的に海外の観光客が増えています。
また、多くの人が車で訪れるため近隣の駐車場は終日満車状態で、そこに向かう道路は渋滞していてほとんど動かないといった状態になることも珍しくありません。駐車場に行く人は仕方ないとしても、そうでない人にとっては大迷惑といった感じです。このような渋滞を避けるには日の出とともに駐車場に入るくらいの覚悟が必要です。
三春の滝桜は樹齢1000年以上と言われる枝垂れの一本桜ですが、多くの桜の人気スポットは染井吉野であることが多いように思います。それも一本や二本ではなく、何百本という桜を見ることができるところが人気のようです。
確かに桜の中でも染井吉野は花の数が半端なく、大樹になると向こうが見えないくらいに花が密集していますので、豪華さという点ではいちばんかも知れません。ちなみに、ソメイヨシノのそこそこの大きさの木に咲く花の数は軽く10万個を超えるそうです。
私は撮影目的で桜の追っかけを行なっているので、人の姿や人工物はあまり入れずに撮りたいということが多くあります。もちろん、点景として人物や建物を入れたり、お花見風景として人の姿を入れることもありますが、やはり自然風景として撮りたいというときは、人が少ない方がありがたいのは言うまでもありません。
ということで、私の桜の追っかけは有名どころや人気スポットに行くことはほとんどありません。豪華絢爛な桜も魅力的ではありますが、どちらかというと名前もついていない、ひっそりと咲いている桜を見つけて撮るというスタイルになっています。そして、そういう場所は訪れる人もほとんどいないので、ゆっくりと気のすむまで撮影することができます。
下の写真は岩手県の北上展勝地でスマホで撮影したものです。ちょうど満開の時期に通りかかったので撮影してみましたが、早朝にもかかわらずたくさんの方が訪れていました。まさに桜のトンネルといった感じです。
このように多くの方が訪れる場所ではほとんどの方がスマホで撮影をしています。デジタル一眼レフを持って撮影してる方もいらっしゃいますが、そういう方はごく稀です。ましてや、私のように三脚を据えて撮っている人など皆無に等しいと言っても過言ではありません。
そして、スマホで撮影するスタイルというのが数年前に比べるとずいぶん変わってきていて、単なる静止画として撮るのではなく、いろいろなポーズをとったり、ぬいぐるみなどの小物を駆使したり、あるいはYouTubeとかInstagramなどにアップするのか、ナレーションをつぶやきながら動画を撮ったりと、とにかく多彩です。いわゆる「映える」写真を撮るのに一生懸命といった感じで、こう言ったら失礼ですが、その姿を見ていると飽きがきません。
ところで、なぜ人はこれほどまでに桜に魅かれるのでしょうか?
桜の魅力についてはたくさんの方が様々な解説をしてくださっています。パッと咲いてパッと散る華やかさと潔さ、儚さが日本人の心根に合うとか、葉っぱが出る前に花が咲くので華やかさがあるとか、別れと出会いの季節に咲くからとか...それらのどれもがなるほどと思います。ですが、どうもそれだけではないような気がしてなりません。
桜に先立って咲く梅も魅力的で、葉よりも先に花が咲くなど、桜と似ているところもありますが、梅の追っかけをするかというと、私はしたことがありません。なぜかそういう気持ちにはなりません。まだ寒さが残る花の少ない時期に梅がほころび始めるとワクワクした気持ちにはなりますが、桜の開花が近づくと梅の3倍くらいのワクワクワクワクワクワクした気持ちになります。その理由が自分でもよくわからないのですが、梅が咲くころに比べるとだいぶ暖かくなってきていることも理由の一つかも知れません。
桜というと学校、公園、堤防、ダム(発電所)などでは必ずと言ってよいほど見ることができますが、それらの多くはソメイヨシノです。江戸末期に人為的に交配されて生まれた栽培品種と言われている桜で、比較的新しい種類の桜といえると思います。
ソメイヨシノの寿命はおおよそ100年前後といわれていて、私の家の近くの公園にもソメイヨシノの大木がたくさんありますが、幹が朽ちてきているものも結構見受けられます。倒れると危険ということで根元から伐採されているものも何本もあります。そして、そこから伸びてくるひこばえを育てているのですが、これがそこそこの大樹になるには最低でも半世紀はかかると思われます。
一方で、田んぼの畦や神社などでも桜はよく見かけますが、こちらはソメイヨシノではなく枝垂れ桜や彼岸桜であることが多い印象です。しかも、たくさんの木があるわけではなく、いわゆる一本桜です。
枝垂れ桜や彼岸桜の寿命は数百年と長いらしく、中には1000年を超えていると言われる長寿命の桜もあります。三春滝桜も枝垂れ桜ですし、岐阜県の淡墨桜も山梨県の山高神代桜もエドヒガンで、山高神代桜に至っては樹齢2000年ともいわれています。そして、こういった桜は神が宿る樹として祀られていることが多いです。
また、田んぼの畦などにポツンとある桜も各地で見ることができますが、これらの桜は「〇〇の種蒔桜」というように呼ばれているものが多く、この桜の開花などによって稲の種蒔の時期を判断したとされています。
このようにみると、桜というのは大昔から信仰の対象であったり、人々の暮らしに非常に密着していた存在であったという感じがします。桜に限らず大樹には神が宿るとされることが多く、杉や檜、欅、銀杏、楠など、祀られている大樹もたくさんありますが、やはりもっとも多いのは桜ではないかと思います。なぜ桜がそのような存在になったのかはわかりませんが、大昔から日本人にとって桜はそのような存在であり、それが我々日本人のDNAに書き込まれているのではないかと思ってしまします。
春になって雪解けも進み、田中の一本桜のつぼみが膨らんでくると待ちに待った農作業が始められる、そういった喜びを桜の開花と重ね合わせるという営み、それが長いながい歴史の中で繰り返されてきたことによる結果なのではないかと思えます。
現代社会で生きる我々にもそのDNAが引き継がれているがゆえに、桜を見るとワクワクするのではないかと勝手に解釈しています。
いまはお花見というと暗に桜のことを指しますが、奈良時代や平安時代のころまでは花見というと梅を指すことが多かったと言われています。しかも、庶民の習慣というよりは貴族の優雅な行事という感じがします。
それがいつのころからか桜を愛でるようになり、庶民の楽しみへと変化していったのでしょうが、それでも桜に対する信仰や生活との密接なつながりは途絶えることなく続いて今に至っているのだと思います。
前の方でも書いたように、私はこのようにひっそりと咲いている一本桜に風情を感じて撮ることが多いのですが、撮影をしていると地元の方から声をかけられることもあります。そんなちょっとした立ち話の中でも、地元の方が桜をとても大切にしているということが伝わってきます。今は桜の様子を見なくても天気予報で農作業の段取りを始めることができるようですが、それでも、地元の方々にとってその桜は心のよりどころのような存在なのだと思います。
桜はその種類やその年の気候によって若干の違いはありますが、一般的には開花してから満開になるまでに約1週間、そして満開から完全に葉桜になるまでに約1週間かかると言われています。花の時期は足掛け約2週間ということですが、最も見応えのある満開の時期は2~3日ほどです。もちろん、五分咲きや七分咲きでも十分綺麗ですし、散り際も何とも言えない風情があり、約2週間の間でその時々の美しさを見せてくれます。
そして、葉桜になって日増しに緑が濃くなっていく姿も生命力が満ち溢れているようで、花期とは違った美しさがありますが、やはり追っかけをしようと思うのは花の時期です。
桜前線の北上する速度は結構早くて、しかも東北地方は一本桜がとても多くあり、あれもこれもと欲張って撮ろうとするとあっという間に花の時期が過ぎてしまいます。
今年はこういうルートで回って、あの桜とあの桜に行って...と、出かける前はあれこれプランを立てるのですが、天候による影響も大きく、結局のところは出かけて行った先で桜を探しながら北上していくというスタイルです。有名な桜は行こうと思えば行くことができるのですが、まだ行ったことのない名もない桜に出会ったときの喜びは格別です。
先日、桜前線は北海道に上陸したようですが、残念ながら私は北海道まで桜を追っかけたことはありません。いつか、津軽海峡を越えて北海道まで追っかけて行ってみたいと思っています。
桜に対するときめきというか、胸の高鳴りのようなものは年々強くなるように感じており、桜の追っかけはやめられそうにありません。
(2025.4.29)