私がリバーサルフィルムを多用している理由は、何と言っても色の再現性というか、美しい発色によるところが大きいです。もちろん、肉眼で見たのとまったく同じ色合いになるわけではなく、そのフィルムなりの特性があるわけですが、ポジ原版を見た時の美しさは格別のものがあります。
今から十数年前に製造を終了してしまいましたが、コダック社製の「コダクローム」というリバーサルフィルムがありました。発色現像液中にカプラーを混入して処理する「外式」という方式のフィルムで、それが理由なのかどうかはわかりませんが、とてもコクのある発色をするフィルムでした。日本国内でも現像できるラボは限られており、現像が上がってくるまでの時間も他のフィルムに比べて長くかかりましたが、他のフィルムでは見られない発色に魅了されて使い続けていました。
これに対して富士フイルムの製品はどちらかというと鮮やかな発色をするフィルムで、特に風景写真用として愛用している人はたくさんいました。もちろん、光の状態や気象条件などによって異なりますが、実際に肉眼で見るよりも綺麗に写るという表現も決して過言ではないという印象です。フジクロームというフィルムの鮮やかな発色の傾向は製品がモデルチェンジされるごとに強化された感じですが、ベルビアというフィルムをピークに、それ以降は抑えられたように思います。
とはいえ、現行品であるベルビア100やプロビア100Fも十分に鮮やかな発色をするフィルムであることには違いありません。その鮮やかさゆえか、現像後のポジ原版をライトボックスで見ると、撮影時の現場の映像が見事によみがえってくるという感じです。
私が写す被写体は山とか渓谷が多いのですが、四季折々の美しさがあり、あっちもこっちもシャッターを切りたくなります。肉眼で見てももちろん綺麗なのですが、カメラのファインダー越しに見るとまた違った美しさがあります。肉眼だとほぼパンフォーカス状態で見えますが、ファインダー越しだとピントの合う範囲は限られてしまい、ボケの中に被写体が浮かび上がっているように見えることが理由の一つかもしれません。
被写体に振り回される、という言い方をすることがありますが、まさにそれに近い状態になってシャッターを切りまくってしまうなんていうことも少なくありません。いい写真が撮れているに違いないという、何の根拠もない変な自信のようなものに後押しをされながら、現像後のポジ原版を頭の中に描きながらバシバシと...
しかし、そういう状態で撮影したものに限って現像後のポジを見ると、こんなはずではなかったと打ちのめされることがしばしばあります。
例えば下の写真です。
これはずいぶん前に撮ったものですが、新緑がとても鮮やかで、青空とのコントラストも川の流れも美しく、まさに初夏の風景といった感じの場所でした。しかし、写真を見ると全くどうってことありません。新緑の山とか青空の色は確かに綺麗なのですが、写真としては何の魅力もないというか、「あ、そう。で?」という感じです。撮るときはそれなりに手ごたえのようなものを感じていたのではないかと思うのですが、出来上がりとのギャップの大きさに愕然とした記憶があります。
このようなことは何も新緑の風景に限ったことではありません。一面に咲くお花畑のようなところでも起きるし、紅葉の風景でも雪景色でも起こりえます。
こうした駄作はポジ自体を廃棄してしまっていたのですが、なぜかこのポジはしぶとく残っていました。
なぜこのようなことが起きるのか、自分で撮影をしておきながらこういった写真を見るたびに考えされたものです。フレーミングが悪いとか構図がなっていないといえばそれまでですが、そんな一言で片づけられるのとはちょっと違うと思います。
肉眼の時は3次元の状態で見ていますが、これが写真になると当然、2次元になってしまいます。しかも、二つの眼で見ているのに対してカメラのレンズは一つですから、奥行きに対する情報が欠落してしまうわけで、これがつまらない写真を作り出す大きな原因ではないかと思われます。
一方で、同じ場所でもステレオ写真にしたものを見ると立体感が感じられ、普通の写真を見た時とは全く違った風景に見えます。これは、2枚の写真を同時に見ることで、擬似的に3次元に見えることが理由ではないかと思います。
これによく似た現象で、階段を撮影した写真を見た時に、その階段が上っているのか下っているのかわからないということがあります。これも3次元から2次元になることで多くの情報が欠落してしまうことによって、上りか下りかわからなくなってしまうのだろうと思います。
しかし、同じ風景でもこれを動画(ビデオ)で撮影したものを見ると全く違っており、肉眼で見た時の印象に近い感じに、もしかしたら肉眼以上に美しく感じることもあります。私は動画撮影はほとんどやることがないのですが、動画サイトにアップされている映像を拝見するとそのように感じます。動画は動きがあるので、映像は2次元であっても動きが加わることによって奥行きを感じられるからではないかと、勝手に想像しています。
一概に言い切ってしまうことはできないとは思いますが、やはり写真には奥行き感というか、立体感のようなものが必要で、それが著しく欠如している写真というのは肉眼で見たものとのギャップが大きく感じられるのだろうと思います。
上の写真も手前の川から遠景の山まで、実際には奥行きがあるのですが、それがまったく感じられません。例えば、もう少し右側、または左側の位置から撮影して、川が斜めに配置されるような構図になっていればもう少し奥行き感が出て、多少は見栄えのする写真になったのではないかと思います。
このように、被写体は素晴らしいのにも関わらず、これまで駄作をどれほど量産してきたことか、頭の中でお金に換算してみるとなんだか凹みます。この写真を撮った頃はフィルムも比較的安価に購入できたのでお気楽なものでしたが、昨今のようにフィルム価格が高騰していると笑って済まされなくなります。
しかしながら、こんな駄作を量産してきたおかげで、シャッターを切る前につまらない写真になるか、それともそこそこ見栄えのする写真になるかを考えるようになったのは怪我の功名と言えるかもしれません。
ここは綺麗な場所だからとか、風光明媚だからということで何とかフィルムに記録しようと思っても、なかなかフレーミングや構図が決まらないということがしばしばあります。そんなときはむやみにシャッターを切らずにじっくりと風景と対峙してみるのも大事なことかと思っています。
余談ですが、オールドレンズという言葉が使われるようになって久しい感じがします。オールドレンズに明確な定義はないようですが、オートフォーカスが出回る以前のマニュアルレンズで、概ね、1970年以前に作られたレンズを指すようです。
オールドレンズの人気が高まってきた理由の一つは特徴的なボケであったり、フレアやゴーストが起こり易いとか、全体的に彩度やコントラストが低めといったことにより、今のレンズにはない独特の写りをすることだと言われておりますが、それがインスタ映えするなどということで使う人が増えてきたのだろうと思います。
こういった特徴的なボケやフレア、低コントラストなどは、今のレンズに比べて性能が低いことで生じるものですが、実はこれによって写真に奥行き感や立体感が生まれてくるのではないかと思っています。つまり、主被写体とそれ以外のところの描写に大きなギャップがあり、それによって主被写体が浮かび上がってくるように見えるのだろうということです。
独特のボケ味ももちろん面白いですが、写真全体から感じられる奥行きのようなものがあり、今の高性能のレンズにはない描写になるというのがオールドレンズの魅力として受け入れられているのではないかと思っています。
やはり、写真には奥行き感とか立体感というのは重要な要素なのだと感じます。
オールドレンズについては、機会があればあらためてつぶやいてみたいと思います。
(2022.5.20)