いつもと違うカメラを使えば、いつもとは違った写真が撮れる? 9割の錯覚と1割の真実

 最初にお断りをしておきます。この内容はまったくもって私の個人的な主観であって、これっぽちの客観性もないことをあらかじめご承知おきください。
 また、本文の中で、「写りの違い」とか、「写真の違い」というような表現がたくさん出てきますが、「写りの違い」というのはレンズやフィルムによって解像度やコントラスト、色の階調等の違いのことで、使用する機材によって物理的に異なることを指しています。
 一方、「写真の違い」というのは、機材に関係なく、どのような意図で撮ったとか、その写真を通じて何を伝えたかったのかということであり、抽象的なことですが、このタイトルの「いつもとは違った写真」というのは、これを指しています。

 私が撮影対象としている被写体は自然風景が圧倒的に多く、使用するカメラは大判、もしくは中判のフィルムカメラです。大判カメラも中判カメラもそれぞれ複数台を持っていますが、いちばん出番の多いカメラ、すなわち、メインで使っているカメラはほぼ決まっていて、大判だとリンホフマスターテヒニカ45、中判だとPENTAX67Ⅱといった具合です。
 フィルムカメラというのは、特に大判の場合、カメラが変わったところで写りが変わるものではありません。中判カメラや35mm一眼レフカメラで、シャッター速度設定をカメラ側で行なう場合はそれによる影響がありますが、同じレンズを使い、シャッター速度を同じにすれば違いは出ないと思われます。

 また、大判カメラであちこちにガタが来ていてピントが合わないというような場合は論外として、普通に問題なく使用できる状態であれば、リンホフで撮ろうがウイスタで撮ろうが、レンズが同じであれば同じように写り、撮影後の写真を見て使用したカメラを判断することは困難です。大判カメラの特徴であるアオリの度合いによって多少の違いは生まれますが、写真を見てカメラを特定できるほどではないと思います。

 一方、大判カメラも中判カメラも複数のフィルムフォーマット用が存在しており、フィルムフォーマットが異なれば同じポジションから同じようなフレーミングや構図で撮っても、出来上がった写真のイメージはずいぶん異なります。撮影意図によってフォーマットを使い分けることがあるので、フォーマットの異なるカメラを複数台持つことはそれなりに意味があることだと思います。

 しかし、同じフィルムフォーマットのカメラを複数台持っていたところで、カメラによって写りが変わるわけではないのは上に書いた通りです。にもかかわらず、なぜ複数台のカメラを持つのでしょうか?
 私の場合、中判(67判)のPENTAX67シリーズを3台、4×5判の大判カメラを4台持っています。
 PENTAX6x7も67も67Ⅱもレンズは共通で使えるし、細かな操作性の違いはあるものの、ほぼ同じ感覚で使うことができます。大判カメラについても然りです。

 現在、私の手元にあって現役として活躍している大判カメラは、リンホフが2台、ウイスタとタチハラがそれぞれ1台です。過去にはナガオカやホースマン、スピードグラフィクスなども使っていたことがありますが、手放してしまいました。
 現役の4台のカメラはいずれもフィールドタイプなので、操作性に多少の違いはあるものの、蛇腹の先端にレンズをつけて、後端にあるフォーカシングスクリーンでピントを合わせるというのは共通しています。当然、どのカメラを使っても写りに違いはありません。

 ということを十分に承知をしていながら、私の場合、メインで使っているカメラはリンホフマスターテヒニカ45(リンホフMT-45)で、撮影に行くときに携行する頻度がいちばん高いカメラです。
 なぜ、このカメラをメインで使っているかというと、いちばん長く使っていることもあって使い慣れているということが大きいと思います。加えて、カメラ全体がとてもスマートでありながら作りがしっかりとしていて、まるで、シュッと引き締まった鍛え抜かれたアスリートのような感じがして、そのフォルムの美しさに魅了されているというのも理由の一つかも知れません。
 どのカメラでも同じとはいいながらリンホフMT-45を多用するのは、一言でいえば、どこに持ち出しても安心して使うことのできる、信頼性の高いオールマイティー的な存在だからと言えます。

 リンホフのもう1台のカメラ、リンホフマスターテヒニカ2000(リンホフMT-2000)は、リンホフMT-45に非常によく似ていて、細かな改良は施されていますが使い勝手などもほぼ同じカメラです。唯一、大きな違いは、カメラ本体内にレンズを駆動する機構が組み込まれていて、短焦点レンズが使い易くなったという点です。
 MT-45とほぼ同じ感覚で使うことができるのですが、デザイン的にも洗練されているところがあり、私からするとちょっとお高く留まった優等生といった感じがします。「つまらない駄作を撮るために私を持ち出すんじゃないわよ!」と言われているようで、リンホフが2台並んでいても、普段使いの時は自然とMT-45に手が伸びてしまいます。
 ただし、絶対に失敗したくない撮影とか、ここ一番というような、妙に気合を入れて撮りに行くときなどはMT-2000を手にしてしまいます。MT-45なら失敗が許されるのかというと、そういうわけではないのですが、MT-2000を持ち出すと、撮影に対する意気込みのようなものが違う気がします。まるで勝負パンツのようなカメラです。

 さて、3台目は国産の金属製フィールドカメラ、ウイスタ45 SPですが、リンホフマスターテヒニカにどこか似ている気がしていて、リンホフと同じような感覚で操作することができます。しかし、細かいところの使い勝手などに工夫がされていて、日本製らしさが漂っているカメラです。慣れの問題もありますが、使い易さはウイスタ45 SPの方が勝っているかも知れません。
 リンホフマスターテヒニカに似てはいますが、リンホフのような洗練されたスマートさには及ばないところがあり、リンホフがシュッと引き締まった現役のアスリートだとすると、ウイスタ45 SPは現役を引退して、体のあちこちにお肉がついてきてしまった元アスリートといった感じです(実際のところ、リンホフよりも少し重いです)。しかし、そのぽっちゃり感というか無骨な感じに親近感が湧き、どことなく愛嬌のあるカメラです。
 あまり気張ることなく、気軽に大判カメラに向えると言ったらよいかも知れません。ミリミリと追い込んでいくというよりも、歩きながら気になった景色があったら撮ってみる、というような時などに持ち出すことの多いカメラです。

 そして、私が持っている現役の大判カメラの4台目、タチハラフィルスタンド45 Ⅰ型は木製のフィールドタイプのカメラです。1980年代半ば頃に製造されたのではないかと思われ、40年近く経過しているので、それなりに古いカメラです。レンズを左右に移動するシフト機能がないくらいで、リンホフやウイスタと比べても機能的にはまったく遜色のないカメラです。北海道にしか自生していないといわれる朱里桜という木を用いて作られているらしく、材料の調達からカメラの完成まで4年以上かかるそうです。
 タチハラに限らず木製カメラに共通して言えるのは、木のぬくもりが感じられることです。職人さんの魂が宿っているようにさえ感じてしまいます。
 だからというわけでもないのでしょうが、このカメラを持ち出すときは、どことなく懐かしい感じのする風景を撮りたいときです。きれいな風景というのは結構たくさんありますが、懐かしさを感じる風景というのは比較的少ないのではないかと思い、そんな風景に似合うカメラはこれじゃないか、という感じです。

 このように、4台の大判カメラを持っているのですが、カメラに対する想いとか、カメラに対して抱いている自分なりのイメージというものがあり、それなりに使い分けているところがあります。ただし、それらは私個人が勝手に思い描いているものであり、最初からそのような使命をもってカメラが作られたわけではないというのは言うまでもありません。
 そして、もちろん懐かしさの感じる風景をリンホフで撮れないわけでもなく、ここ一番という写真をウイスタやタチハラで撮れないわけではありません。どのカメラを使おうが、同じレンズであれば同じように写るので、自分がカメラに対して抱いている想いと出来上がった写真とが一致しているか、そういったことが写真から感じられるかというと、実際のところほとんどそんなことはありません。
 すなわち、カメラを変えても写りに違いはないのと同じで、カメラを変えれば写真表現にも変化があるのではないかと思うのは、9割以上は自分の思い過ごし、自己満足、錯覚であろうということです。

 自分で撮影した写真のポジを見れば、どのカメラで撮ったのか大体はわかります。わかるというのは写真からそれが伝わってくるということではなく、使ったカメラを覚えているからというのが理由です。ですが、中にはどのカメラで撮影したかを忘れてしまっているものもあり、それらについては撮影記録を見ないとわかりません。
 つまり、そのポジを見ただけで使用したカメラがわかるわけではないということからも、多くは思い過ごしや錯覚であることが裏付けられています。

 しかしながら、残りの1割、もしくはそれ以下かも知れませんが、カメラを変えることで撮影時の気持ちや意気込み、あるいは画の作り方に違いがあることも事実です。カメラを変えたところで、そうそう写真が変わるわけでもないと言いながら、カメラによって気持ちが変わるという、なんとも矛盾した精神状態です。
 高いフィルムを使っているのだから、常にここ一番という気持ちで、勝負パンツのようなリンホフMT-2000を常用すれば、どんなシチュエーションにも対応できるじゃないかというのも一理ありますが、多分、常にMT-2000だけを使っていると、ここ一番という気持ちが薄れていってしまうのではないかという気がします。勝負パンツは毎日履かないからこそ意味があるのと一緒かも知れません。
 ミリミリと追い込んだ写真というのは気持ちの良いものですが、若干のスキのある写真というのも見ていてホッとするところがあり、一概に良し悪しをつけられるような性質のものではありません。

 いつもと違うカメラで撮ってみたところで、それが写真にどの程度の影響が出るのかわかりませんが、撮影するときの気持ちのありようというのは大事なことだと思います。もちろん、カメラを変えなくても気持ちのありようを変えることはできるかも知れませんし、何台ものカメラを持つことの大義名分を無理矢理こじつけているだけかも知れません。ですが、機材によって被写体に向かう気持ちに変化があるのであれば、何台ものカメラを持つことも、あながち無意味と言い切ることもできないのではないかと思うのであります。

 自動車の場合、自分の運転技術は変わらないのに、パワーのある車や走行性能に優れている車に乗ると、あたかも自分の運転がうまくなったように錯覚することがあります。自動車は性能そのものが走行に直結しますが、フィルムカメラ、特に大判カメラは機能や性能が優れていても写真そのものには直接的に影響しないので、自動車の場合とは少し事情が違います。
 しかし、同じ風景であってもカメラを変えれば撮り方が変わる、その感覚の9割以上が錯覚であっても、そんな中から何か自分なりの新しい発見があれば、それはとても新鮮な出来事に感じられると思います。

 つらつらと他愛のないことを書いていると、今まで使ったことのないカメラが欲しくなってきました...

(2022.9.4)

#リンホフマスターテヒニカ #ウイスタ45 #Linhof_MasterTechnika #WISTA45 #タチハラフィルスタンド

写真・映像用品年鑑(写真・映像用品総合カタログ)が、驚くほど薄くなった!!

 写真やカメラに興味をお持ちの方であればご存じかと思いますが、一般社団法人 日本写真映像用品工業会というところが毎年発行してる「写真・映像用品年鑑」という冊子があります。工業会に加入している企業が製造・販売している写真用機器などが掲載されている総合カタログです。国内で販売されているカメラ用品や写真用品の多くが網羅されており、安価ということもあり、便利な冊子です。年一回、2月ごろに発行されるのですが、毎年購入する必要もないので、私は数年ごとに購入していました。

 先日、新宿のカメラ屋さんに立ち寄った際、この冊子の2022年度版が置いてあったので久しぶりに購入してみようと思い、手に取ってビックリしました。冊子がぺらっぺらに薄くなっています。パラパラっと中を見たところ、厚さだけでなく内容も随分希薄になったなという印象です。
 お金を出して買うほどのものではないと思い、棚に戻そうとしましたが、時代の流れを反映しているような薄い冊子に何だか興味が湧いて購入してしまいました。510円(税込)でした。

▲写真・映像用品年鑑 左:2022年度版 右:2016年度版

 私が初めて写真・映像用品年鑑を買ったのはずいぶん前のことで、いつだったのかは覚えていませんが、少なくとも20年以上は経っていると思います。
 新しいのを購入すると、ひとつ前の号を残して二つ前の号は廃棄してしまいます。数年に一度しか購入しないので、いま手元に残っている最も古いのは2016年度版(No.46)です。
 2016年度版を購入した時も、それまでのに比べると薄くなったという感じはしたのですが、それとともに、掲載されている商品の写真や文字がすごく小さくなり、ずいぶん見難くなったと感じたのを覚えています。とはいえ、掲載されている情報量が特に減ったという印象はありませんでした。経費削減のためにページ数を減らし、見易さを犠牲にしたのだろう程度に思っていました。

 ところが、今回購入した2022年度版はページ数も情報量も格段に減っています。昨年も一昨年も、その前も購入していないので、徐々に薄くなったのか、急激に薄くなったのかわからないのですが、来年は消えてしまうのではないかと思ってしまうほどです。新聞の折り込み広告などにまぎれて古紙回収に出されても気がつかないのではないかというくらいの薄さで、まさに風前の灯火といった感じです。

 手元にある中でいちばん古い2016年度版と、今回購入した最新の2022年度版を比較してみました。

  ・総ページ数 : 352ページ –> 88ページ
  ・カタログページ数 : 292ページ –> 41ページ
  ・掲載企業数 : 42社 –> 12社
  ・工業会会員数 : 51社 –> 40社

 2016年からの6年間で、冊子の厚さ(ページ数)は約1/4に、カタログが掲載されているページ数は1/7以下に、掲載している企業数も1/4近くまで減少しています。掲載企業数が12社というのはまさに驚きです。
 掲載されている商品(アイテム)数も非常に少なくなっているし、カタログページよりも他のページの方が多いという状況で、もはや「年鑑」とか「総合カタログ」と呼べる内容ではないというのが正直な感想です。
 代表的なところを挙げてみると、これまでかなりのページ数を使って掲載していたケンコー・トキナー、スリック、富士フイルム、近代インターナショナル、ユーエヌなどは数ページに減少してしまい、エツミ、ベルボン(今はハクバになっていますが)、ハクバ、マルミなどは掲載すらされていません。
 価格も昔は300円くらいだったと記憶しているのですが、それと比べるとかなり値上がりしています。
 あまり意味があるとも思えませんでしたが厚さを測ってみたところ、2016年度版は10mmちょうど、2022年度版はわずか2.9mmでした。

▲写真・映像用品年鑑 上:2022年度版 下:2016年度版

 数年の間に何故ここまで薄くなってしまったのかということについては想像に難くなく、ネットで大方の情報を得ることができるようになった現在、このような総合カタログの必要性が薄れてきていることが大きな原因であろうと思われます。
 たくさんの企業の商品が掲載されている分厚いカタログをめくるよりも、パソコンやスマホで自分の見たいもの、知りたいことを検索したほうがはるかに早いし、何よりお手軽です。しかも、企業が提供しているサイトの方が圧倒的に詳しい情報を得ることができます。

 また、カタログの制作には時間もかかるしお金もかかります。昔のように商品の情報を伝える術が限られていた場合は、お金をかけても情報が集約された総合カタログのようなものは有効だったのでしょうが、今は状況が変わってきています。時間やコストをかけても効果性や効率性が期待できないということでしょう。

 そして、冊子の厚さ以上に気になるのが、日本写真映像工業会に加盟している企業数の減少です。
 写真用品や映像用品の製造・販売をしている企業数がどれくらいあるのかわかりませんが、写真業界の動向調査やカメラ業界に関する白書などを見ると、売上が減少したり、倒産したという企業が増えていることは事実のようです。そういったことが大きな原因になっているとは思いますが、6年間で2割も減ってしまうというのは驚きです。
 それまではなくてはならないとされていたものが、カメラがデジタル化されたことによって不要になったというものはかなりの数に上ると思われます。フィルムが最たるものでしょうが、レンズ用のフィルターとか、ストロボなどの照明機器、写真をパソコンなどで見ることが当たり前になったことでアルバムや額縁等々、非常に広範囲に影響が及んでいると思います。
 もちろん、新しい市場も形成されているわけですが、全体としての規模は確実に縮小しているのは間違いのないことなのでしょう。

 そういった環境の変化が及ぼす影響は大きいと思われ、写真・映像用品年鑑に掲載されている企業数も商品数も格段に減ってしまいましたが、掲載されている内容を見ると、全商品を掲載するよりは主力商品や特徴的な商品などに絞っているのと、商品そのものよりも企業のイメージを前面に出しているものが増えている傾向にあるという印象を受けます。商品の詳細は自社のホームページで紹介しているので、そちらを見てくださいという思いなのかもしれません。

 日本写真映像工業会という社団法人は1961年の設立らしいので、今年で61年という歴史ある団体です。活動内容についてはあまり詳しくありませんが、写真用品の認知向上や普及、品質向上、業界の発展ということを大きな目的にしていたことは間違いないと思います。
 その中の具体的な活動の一つとして、写真・映像用品年鑑の発行があったと思うのですが、時代の流れとは言え、あまりの変貌ぶりと言えます。私は4年ぶりの購入なので、一層その感が強いのかも知れませんが、毎年、目にされていらっしゃった方々にとってはじわじわと感じられていたことと思います。

 以前のように、300ページも400ページもあったカタログは、特に目的があるわけでもないのですがページをめくっていくこと自体に楽しみがあり、小さな写真と文字で紹介された各社の商品の中から新しい発見があるというのも総合カタログの持つ魅力だったと思っています。
 ただし、それは膨大な量の商品が掲載されているからこそであって、情報量が少ないとその魅力は一気に色褪せてしまいます。
 また、私のようにフィルム写真をやっている立場からすると、ページ数の少ない最新のカタログを見ても自分が使いたいと思うものがあまりなく、昔のカタログの中にこそ自分の使いたいものがゴロゴロしています。

 とはいえ、こんなに薄くなっても発刊し続けるということに対して頭が下がりますし、何十年も発刊し続けてきたことへの誇りのようなものも感じずにはいられません。長きに渡って写真用品の業界に大きな影響を与えてきたことは紛れもない事実だと思います。
 個人的には、以前のようにたくさんの情報が詰まった総合カタログの存在は大歓迎なのですが、継続していくことの大変さ、難しさを垣間見たような気がしました。
 毎年購入するわけではありませんが、来年(2023年)度の写真・映像用品年鑑は発行されるのだろうかと、今回購入した2022年度版を見ているととても気になってしまいます。

 因みに、写真・映像用品年鑑は日本写真映像工業会のホームページから無料で閲覧することができます。ただし、商品カタログ以外のページ(「写真が上達するコツ」、「撮影・写真用品の基礎知識」、「フォト検通信」など)は掲載されていませんでした。

(2022.7.16)

#カメラ業界

美しい風景なのに、撮影したらとってもつまらない写真に...

 私がリバーサルフィルムを多用している理由は、何と言っても色の再現性というか、美しい発色によるところが大きいです。もちろん、肉眼で見たのとまったく同じ色合いになるわけではなく、そのフィルムなりの特性があるわけですが、ポジ原版を見た時の美しさは格別のものがあります。

 今から十数年前に製造を終了してしまいましたが、コダック社製の「コダクローム」というリバーサルフィルムがありました。発色現像液中にカプラーを混入して処理する「外式」という方式のフィルムで、それが理由なのかどうかはわかりませんが、とてもコクのある発色をするフィルムでした。日本国内でも現像できるラボは限られており、現像が上がってくるまでの時間も他のフィルムに比べて長くかかりましたが、他のフィルムでは見られない発色に魅了されて使い続けていました。

 これに対して富士フイルムの製品はどちらかというと鮮やかな発色をするフィルムで、特に風景写真用として愛用している人はたくさんいました。もちろん、光の状態や気象条件などによって異なりますが、実際に肉眼で見るよりも綺麗に写るという表現も決して過言ではないという印象です。フジクロームというフィルムの鮮やかな発色の傾向は製品がモデルチェンジされるごとに強化された感じですが、ベルビアというフィルムをピークに、それ以降は抑えられたように思います。
 とはいえ、現行品であるベルビア100やプロビア100Fも十分に鮮やかな発色をするフィルムであることには違いありません。その鮮やかさゆえか、現像後のポジ原版をライトボックスで見ると、撮影時の現場の映像が見事によみがえってくるという感じです。

 私が写す被写体は山とか渓谷が多いのですが、四季折々の美しさがあり、あっちもこっちもシャッターを切りたくなります。肉眼で見てももちろん綺麗なのですが、カメラのファインダー越しに見るとまた違った美しさがあります。肉眼だとほぼパンフォーカス状態で見えますが、ファインダー越しだとピントの合う範囲は限られてしまい、ボケの中に被写体が浮かび上がっているように見えることが理由の一つかもしれません。
 被写体に振り回される、という言い方をすることがありますが、まさにそれに近い状態になってシャッターを切りまくってしまうなんていうことも少なくありません。いい写真が撮れているに違いないという、何の根拠もない変な自信のようなものに後押しをされながら、現像後のポジ原版を頭の中に描きながらバシバシと...

 しかし、そういう状態で撮影したものに限って現像後のポジを見ると、こんなはずではなかったと打ちのめされることがしばしばあります。

 例えば下の写真です。

 これはずいぶん前に撮ったものですが、新緑がとても鮮やかで、青空とのコントラストも川の流れも美しく、まさに初夏の風景といった感じの場所でした。しかし、写真を見ると全くどうってことありません。新緑の山とか青空の色は確かに綺麗なのですが、写真としては何の魅力もないというか、「あ、そう。で?」という感じです。撮るときはそれなりに手ごたえのようなものを感じていたのではないかと思うのですが、出来上がりとのギャップの大きさに愕然とした記憶があります。
 このようなことは何も新緑の風景に限ったことではありません。一面に咲くお花畑のようなところでも起きるし、紅葉の風景でも雪景色でも起こりえます。
 こうした駄作はポジ自体を廃棄してしまっていたのですが、なぜかこのポジはしぶとく残っていました。

 なぜこのようなことが起きるのか、自分で撮影をしておきながらこういった写真を見るたびに考えされたものです。フレーミングが悪いとか構図がなっていないといえばそれまでですが、そんな一言で片づけられるのとはちょっと違うと思います。

 肉眼の時は3次元の状態で見ていますが、これが写真になると当然、2次元になってしまいます。しかも、二つの眼で見ているのに対してカメラのレンズは一つですから、奥行きに対する情報が欠落してしまうわけで、これがつまらない写真を作り出す大きな原因ではないかと思われます。
 一方で、同じ場所でもステレオ写真にしたものを見ると立体感が感じられ、普通の写真を見た時とは全く違った風景に見えます。これは、2枚の写真を同時に見ることで、擬似的に3次元に見えることが理由ではないかと思います。

 これによく似た現象で、階段を撮影した写真を見た時に、その階段が上っているのか下っているのかわからないということがあります。これも3次元から2次元になることで多くの情報が欠落してしまうことによって、上りか下りかわからなくなってしまうのだろうと思います。

 しかし、同じ風景でもこれを動画(ビデオ)で撮影したものを見ると全く違っており、肉眼で見た時の印象に近い感じに、もしかしたら肉眼以上に美しく感じることもあります。私は動画撮影はほとんどやることがないのですが、動画サイトにアップされている映像を拝見するとそのように感じます。動画は動きがあるので、映像は2次元であっても動きが加わることによって奥行きを感じられるからではないかと、勝手に想像しています。

 一概に言い切ってしまうことはできないとは思いますが、やはり写真には奥行き感というか、立体感のようなものが必要で、それが著しく欠如している写真というのは肉眼で見たものとのギャップが大きく感じられるのだろうと思います。
 上の写真も手前の川から遠景の山まで、実際には奥行きがあるのですが、それがまったく感じられません。例えば、もう少し右側、または左側の位置から撮影して、川が斜めに配置されるような構図になっていればもう少し奥行き感が出て、多少は見栄えのする写真になったのではないかと思います。

 このように、被写体は素晴らしいのにも関わらず、これまで駄作をどれほど量産してきたことか、頭の中でお金に換算してみるとなんだか凹みます。この写真を撮った頃はフィルムも比較的安価に購入できたのでお気楽なものでしたが、昨今のようにフィルム価格が高騰していると笑って済まされなくなります。

 しかしながら、こんな駄作を量産してきたおかげで、シャッターを切る前につまらない写真になるか、それともそこそこ見栄えのする写真になるかを考えるようになったのは怪我の功名と言えるかもしれません。
 ここは綺麗な場所だからとか、風光明媚だからということで何とかフィルムに記録しようと思っても、なかなかフレーミングや構図が決まらないということがしばしばあります。そんなときはむやみにシャッターを切らずにじっくりと風景と対峙してみるのも大事なことかと思っています。

 余談ですが、オールドレンズという言葉が使われるようになって久しい感じがします。オールドレンズに明確な定義はないようですが、オートフォーカスが出回る以前のマニュアルレンズで、概ね、1970年以前に作られたレンズを指すようです。
 オールドレンズの人気が高まってきた理由の一つは特徴的なボケであったり、フレアやゴーストが起こり易いとか、全体的に彩度やコントラストが低めといったことにより、今のレンズにはない独特の写りをすることだと言われておりますが、それがインスタ映えするなどということで使う人が増えてきたのだろうと思います。

 こういった特徴的なボケやフレア、低コントラストなどは、今のレンズに比べて性能が低いことで生じるものですが、実はこれによって写真に奥行き感や立体感が生まれてくるのではないかと思っています。つまり、主被写体とそれ以外のところの描写に大きなギャップがあり、それによって主被写体が浮かび上がってくるように見えるのだろうということです。
 独特のボケ味ももちろん面白いですが、写真全体から感じられる奥行きのようなものがあり、今の高性能のレンズにはない描写になるというのがオールドレンズの魅力として受け入れられているのではないかと思っています。
 やはり、写真には奥行き感とか立体感というのは重要な要素なのだと感じます。

 オールドレンズについては、機会があればあらためてつぶやいてみたいと思います。

(2022.5.20)

#フレーミング #写真観 #構図

リバーサルフィルム写真はいつまで続けることができるのか?

 2022年4月1日から富士フィルムの製品が大幅に値上げされました。例えば、ベルビア50の120サイズ5本入りの価格が、つい先日までは5,800円くらいだったのが、一気に9,500円ほどになりました(いずれも新宿の大手カメラ店での店頭価格です)。60%以上の値上げ幅です。モノクロフィルムのACROSⅡも120サイズ1本が1,260円になりました。
 フィルムの需要が激減する中、製造販売を続けていくことは並大抵のことではないということは想像がつきます。富士フィルムという大企業だからこそ継続していただけているのであり、これが小さな会社であれば到底維持できなかったであろうと思います。

 とはいえ、一気に60%以上もの値上げというのは、フィルムユーザーに暗い影を落とされたように感じるのも事実です。
 記憶が定かではありませんが、今から7~8年ほど前はベルビア50の120サイズ5本入りが一箱2,500円くらいだったと思います。つまり、1本あたり、500円前後といったところです。それが今回の値上げで、1本あたりに換算すると2,000円に届かんとしています。
 また、同じ時期のリバーサルの現像料金は120サイズが1本600円くらいだったと記憶していますが、現在は1,300~1,400円くらいになっています。
 120サイズのブローニーフィルム1本の価格と現像料金を合わせると、およそ1,100円だったのが3,300円ほどに上がったということです。実に3倍です。

 コダックがE100というリバーサルフィルムを新たに製造販売を開始し、120サイズのブローニーフィルム5本入りが一箱14,700円という価格を見た時、このフィルムを買う人がいるのだろうかと思ったものでした。しかし一方で、富士フィルムの製品もこのような価格になる日が来るのではないかと思ったりもしました。
 今回、さすがに10,000円は超えませんでしたが、E100に近い価格になったのを見ると、「やっぱり」という感じが否めません。
 今回の富士フィルムの値上げは非常にインパクトが大きく、この先、フィルムや現像料金がどこまで高騰するのだろうか、そして、こんなに高くなったリバーサルフィルムを使い続けることができるのだろうかと考えると、なんだかとても暗い気持ちになります。

 コストが3倍になったら使用するフィルム量を1/3に減らせば、計算上、トータルのコストは変わらないわけです。昔のように比較的リーズナブルな価格でフィルムを購入できた時はバシバシとシャッターを切り、駄作も量産していたわけですから、つまらない写真を撮らないようにすればフィルム消費量は確かに減ると思います。
 しかし、一つの被写体をいくつかのアングルや異なる構図で撮りたい時に、それを我慢しなけれなばならないとすると、それはとてもストレスに感じます。
 無駄なものは撮らない、でも、撮りたいものは我慢しない、というメリハリが必要になってくるんだろうなぁと思います。

 とはいえ、この先もさらなる値上げが行なわれることは想像に難くなく、無駄打ちをしないように頑張ったところで限界があるような気もします。残念ながら、リバーサルフィルムはモノクロフィルムで代用というわけにはいかないので、リバーサルフィルムをあきらめざるを得ない日が来るようで、考えれば考えるほど憂鬱になってきます。
 私が買い置きしてあるフィルムはおよそ1年分くらいです。いま、冷蔵庫に入っているフィルムは、これまでと同じペースで使うと、来年の今頃には底をついてしまうことになります。一箱10,000円近くもするフィルムを買い続けることができるのか、気持ちも萎えてきてしまいます。

 新宿の大手カメラ店の店員さんが話してくれたのですが、3月の後半に富士フィルムから価格改定のアナウンスがあった直後、店頭からフィルムが消えたそうです。値上がりする前に買い置きしておこうという人が殺到したということでしょう。
 また、8×10のシートフィルムは10,000円ほど値上がりしましたが、4×5判はまだ値上がりしていないようです。値上がりする前に少し買い置きしておこうかとも思いますが、8×10の値上がり幅からすると、ブローニーほどの値上がりにはならないのでないかと楽観視しており、今のところ買い置きは踏みとどまっています。

 先のことはわかりませんし、また、いろいろ心配したところでどうなるものでもないので、可能な限りはフィルム写真を続けていこうと思います。フィルムが高騰することで一枚々々を大事に撮るようになることは肯定的にとらえるべきことかもしれません。
 しかしながら、一般庶民にとってリバーサルが手の届かない高嶺の花になりきってしまわないように願うばかりです。

 それにしても、今は亡きアスティアとかセンシア、フジクローム400、フォルティア、トレビなど、フジクロームだけでも今の何倍もの製品がラインナップされていた頃がとても懐かしいです。

(2022年4月9日)

#リバーサルフィルム #富士フイルム

レンズには魔物が潜んでいる...買っても買っても、またレンズが欲しくなるワケ

 「レンズ沼」とか「レンズ沼にはまる」という言葉があります。簡単に言うと、次々とレンズが欲しくなる症候群のようなもので、経験された方も多いのではないかと思います。かくいう私もレンズ沼にどっぷりとはまった経験があります。幸いにも以前よりは抜け出していると思うのですが、岸に這い上がっているかというとそんなことはなく、まだ体半分くらい浸かりながらもがいているといった感じです。
 ひと言でレンズ沼と言っても、その大きさや深さ、はまり方は人それぞれのようで、とにかく究極のレンズにたどり着くために次々とレンズを手に入れる人もいれば、コレクターアイテムとしてレンズを集める人もいるでしょう。

 私が最もはまった沼は35mm判カメラ用のレンズでした。私は主にコンタックス(CONTAX)のカメラを使っていましたが、そのほかにもペンタックスやライカ、トプコン、コンタレックス、エギザクタなどのカメラがごろごろとしており、それぞれのカメラ用マウントのレンズやM42マウントのレンズなどを数えきれないほど所有していました。
 なぜそんなに膨大な量になったかというと、レンズというのはそれぞれ異なった写りをするわけですが、そういったレンズの癖や特性を実際に味わってみたいというのが理由で、それが私の沼へのはまり方でした。

 新しいレンズ(ここでいう「新しい」とは新品という意味ではなく、それまで自分が持っていなかったレンズという意味であり、実際に私が手に入れたレンズの多くは中古品です)を手に入れると、いろいろなシチュエーションで撮影を行ない、色乗りやボケ方、収差などをみて、そのレンズの特徴を自分なりに理解するということをします。ですので、その工程が終わるとよほど気に入ったレンズ以外はそれ以降、陽の目を見る機会は極端に減ってしまいます。
 使わないのなら手放せば良いのにと思われるかもしれませんが、いったん手にしたレンズには愛着がわき、なかなか手放す気になれません。そのため、レンズは増える一方でした。しかし、数えきれないほどの量で、しかもあまり使うことのないレンズが多いとはいえ、リストアップしろと言われればすべて書き出すことができる状態でした。
 そして、被写体(私の場合、風景や花を撮ることが多いのですが)を目にしたとき、あのレンズで撮ればこんな感じに写るんだろうなぁと、頭の中でイメージしていました。今から思うとかなりアブナイ奴だったかも知れません。

 ところが今から6年ほど前、35mm判カメラとレンズのほとんどを一気に手放してしまいました。

 私は作品作りに使用するのは大判カメラか中判カメラで、35mm判のカメラを使うことはほとんどありません。かつては35mm判でスナップなどもよく撮っていたのですがそれも少なくなり、35mm判カメラを使用する頻度が著しく減ってきたのが手放した理由です。
 カメラやレンズに囲まれ、それらを手にするだけで何だか幸せな気持ちになりますが、やはり使ってこそ価値のあるものだというのが私の持論なので、ちゃんと使ってもらえる人のところに行った方が、カメラやレンズたちにとっても幸せだろうと判断した結果です。
 何台かは手元に残しておこうとも思いましたが、それとて使わないのであれば同じことなので、思い切って手放してしまいました。

 ということで、いま私の手元にある35mm判カメラはコンタックスT2と、2年前に中古カメラ店で衝動買いしたフォクトレンダーのベッサマチックだけです。
 T2はお散歩カメラとして使っていますが、ベッサマチックは完全にディスプレイ化しています。

 35mm判カメラとレンズを処分したことで、私の撮影用機材の量は1/3以下になりました。

 とはいえ、大判カメラ用レンズや中判カメラ用のレンズはまだたくさんありますし、大判レンズに至ってはいまだに微増しています。さすがにかつてのように、レンズの「味」を確認したいがために購入するというようなことはなくなりましたが、時どき、無性にレンズが、特に大判レンズが欲しくなる時があります。

 このビョーキのような状態がなぜ起きるのか、自分でもうまく説明できないのですが、やはり、これまでに使ったことのないレンズで撮影をしてみたいという衝動が最も大きな理由ではないかと思います。これはレンズの「味」を確かめたいということと根本は同じかもしれません。
 例えば、同じ焦点距離のレンズであれば、ニコンだろうとフジノンだろうと、あるいはシュナイダーであろうとほとんど見分けがつかないくらいの写りをします。厳密に見れば微妙な発色の違いとかボケ方の違いとかはありますが、一枚の写真だけを見せられて、これはどのメーカーの何というレンズで撮ったものかと問われても私には答えられません。半世紀以上も前のレンズで撮影したものであれば明らかに違うのはわかると思いますが、近年に作られたレンズはいずれも拮抗しているという感じです。

 そういったことを十分に理解しているにもかかわらず、フジノンのレンズで撮りたい、シュナイダーで撮りたいとか、あるいはローデンシュトックで撮れば...などと不埒なことを考えてしまいます。まるで、違うレンズで撮れば違った写真に仕上がるとでも言いたげです。レンズを変えたところで自分の写真の腕が上がるわけではないことぐらい、十二分にわかっているはずなのにです。
 こっちのレンズを使えば素晴らしい写真が撮れるよ、というあま~い悪魔の囁きが聞こえてきて、私の脳を麻痺させてしまうとしか言いようがありません。まさにレンズには魔物が潜んでいるという感じで、麻薬のような恐ろしさがあります。
 大判レンズの前玉をのぞき込んだ時の、あの吸い込まれるような神秘的な美しさがそう思わせるのかもしれません。まるでライン川の岩山にたたずむローレライのようです。

 35mm判は処分したものの、このように大判レンズの沼からはいまだに抜け切れずにいるわけですが、大判レンズの場合、35mm判のレンズのように数回使ってお蔵入りということはなく、使い続けるところが違っています。
 それは、35mm判レンズに比べると大判レンズの本数がずっと少ないのも使い続ける理由の一つかもしれませんが、何と言っても、そのレンズで自分なりに納得のいく写真を撮りたいという気持ちがあるからです。
 大判写真は構図決めにしても露出設定にしても、そしてピント合わせにしてもかなりの時間をかけて行ない、やっとシャッターを切るという状態ですから、そうして撮った一枚がイメージと違うものだとテンションが下がり虚しくなるとともに、とても悔しい気持ちになります。ほれぼれとするようなレンズで納得のいかない写真しか撮れないのであれば、レンズに対して申し訳ないという感じです。

 そしてもう一つ、時々、大判レンズを購入する理由として、予備のレンズを確保しておきたいということがあります。
 大判レンズはほとんどがディスコンになってしまい、徐々に修理もきかなくなりつつあります。最も切実なのはパーツが手に入らなくなることで、そうなると中古品から取るしかないということになります。そのために、比較的程度の良い個体をいくつか持っておく必要があります。これは極めて現実的な問題であり、魔物とは対極にある理由です。

 いずれにしても、自分に都合の良い理由を並べているにすぎないようにも思えますが、大判カメラや大判写真に興味がなくならない以上、このような状態が大きく変わるとは思えません。レンズ沼と一言で片づけてしまえば簡単ですが、私にとっては「魅せられた」という方が適切な表現かも知れません。
 大判カメラや中判カメラ、そしてそれらのレンズを手放す日はもう少し先になりそうです。

(2022年2月7日)

#中古カメラ

イルフォードもコダックも値上げ! フィルムはどこまで高くなるのか?

 昨年(2021年) 末、銀塩カメラの愛好者にとっては極めて衝撃的なニュースが飛び込んできました。2022年の早いうちに、イルフォードもコダックもフィルムをはじめとした写真用品の値上げをするという内容です。詳細はわかりませんが、今でも十分に高いのに更に高くなるということで、ずいぶん暗い気持ちになったものです。

 2022年1月現在の主なフィルムの価格を調べてみました。いずれも東京の大手カメラ店での実売価格(税込)です。

 【イルフォード 135フィルム(35mm判) 36枚撮り】

   モノクロ HP5(ISO400) 990円
   モノクロ FP4(ISO125) 990円 
   モノクロ DELTA400(ISO400) 1,320円
   モノクロ DELTA100(ISO100) 1,210円
   モノクロ DELTA3200(ISO3200) 1,580円

 【イルフォード 120フィルム(ブローニー判)】

   モノクロ HP5(ISO400) 990円
   モノクロ FP4(ISO125) 990円 
   モノクロ DELTA400(ISO400) 1,150円
   モノクロ DELTA100(ISO100) 1,100円
   モノクロ DELTA3200(ISO3200) 1,370円

 【コダック 135フィルム(35mm判) 36枚撮り】

   モノクロ トライX400(ISO400) 2,120円
   モノクロ T-MAX400(ISO400) 2,270円 
   モノクロ T-MAX100(ISO100) 2,080円
   カラーネガ ColorPlus(ISO200) 1,050円
   カラーネガ PORTRA800(ISO800) 3,060円
   カラーネガ PORTRA400(ISO400) 13,740円(5本パック)
   カラーネガ Ektar100(ISO100) 2,490円
   リバーサル E100(ISO100) 4,110円

 【コダック 120フィルム(ブローニー判) 5本パック】

   モノクロ TRI-X400(ISO400) 11,000円
   モノクロ T-MAX100(ISO100) 7,710円
   モノクロ T-MAX400(ISO400) 11,000円
   カラーネガ PORTRA800(ISO800) 16,180円
   カラーネガ PORTRA400(ISO400) 13,290円
   カラーネガ Ektar100(ISO100) 11,930円
   リバーサル E100(ISO100) 14,700円

 参考までに富士フイルムの価格です。

 【富士フイルム 135フィルム(35mm判) 36枚撮り】

   モノクロ ACROS100Ⅱ(ISO100) 1,040円
   カラーネガ FUJICOLOR100(ISO100) 1,080円 
   カラーネガ SUPERIA PREMIUM 400(ISO400) 1,350円
   リバーサル PROVIA100F(ISO100) 1,760円
   リバーサル Velvia50(ISO50) 2,030円

 【富士フイルム 120フィルム(ブローニー判)】

   モノクロ ACROS100Ⅱ(ISO100) 1,040円
   リバーサル PROVIA100F(ISO100) 5,550円(5本パック)
   リバーサル Velvia50(ISO50) 5,710円(5本パック)

 こうしてあらためてフィルムの価格を見てみると、つくづく高いと感じます。特にコダックの製品が際立っているように思います。極めつけは35mm判リバーサルフィルムのE100で、1本4,000円を超えているという驚くべき価格です。アメリカの人件費高騰による影響が大きいともいわれていますが、実際のところはよくわかりません。
 フィルムの需要が激減している現実からすると致し方ない気もしますが、値上げ幅は20%以上という話しもあり、35mm判のフィルム1本が軒並み2,000円という時代になるのではないかと思わずにいられません。
 もちろん、ここに掲載したフィルム以外に格安の製品がありますので、それらも同様に値上げになるのかどうかはわかりません。

 一方で、若い世代を中心にフィルムカメラを使う人が増えているという話しも聞きます。これまでフィルムカメラなど使ったことがないけど、フィルム写真の雰囲気が良いとか、インスタ映えするとか、フィルムカメラ自体がかっこいいとか、いろいろな理由があるようです。富士フイルムの「写ルンです」の売上げが好調なのも、こういった理由かもしれません。

 理由はともかく、フィルム人口が増えてくれるのはありがたいことです。私もときどき、中古カメラ店に足を運ぶことがありますが、確かに20代くらいの若い人を見かけることが増えた気がします。「これからフィルムカメラを始めたいので」と言って、お店の方に相談しているのを耳にしたことが何度もあります。しかも、女性のお客さんを見かけるようになったのは驚きです。数年前までは、中古カメラ店と言えば中高年以上のおっさんの姿しかなかったのですから。

コンパクトカメラの売行きが好調らしい

 しかし、これからフィルムカメラを始めようとしている方にとって、現在のフィルムの価格はべらぼうな値段に感じるのではないかと思います。加えて、現像料金がかかります。初めてフィルムで撮ろうという人が、いきなり自家現像するというのはゼロではないにしても極めて少数派だと思われますので、現像料金もバカになりません。
 カメラ自体は中古カメラ店でリーズナブルな値段で購入できたとしても、フィルム代や現像代がランニングコストとして重くのしかかってきます。家庭用のインクジェットプリンターとインクカートリッジの値段の関係に似た構図になっています。

 今回掲載した35mm判の中でいちばん安いフィルムを使っても、一回シャッターを押せばフィルム代と現像代を合わせて60円ほどがかかるわけで、最も高いコダックのリバーサルフィルムE100を使いようものなら、1カットあたり160円ほどにもなってしまいます。
 デジタルカメラのように機材を揃えるのに費用はかかっても、その後のランニングコストはほとんどかからないというのであれば気にせずにバシバシ撮れますが、フィルムだとなかなかそういうわけにはいきません。まさに「一球入魂」といった感じでシャッターを押すことになります。
 逆にそれが新鮮でいいという意見をお持ちの方もいらっしゃるようですが、それにしてもランニングコストは安いに越したことはありません。

 フィルム価格の高騰は簡単に言えばフィルム需要が激減しているからなのでしょうが、さらに価格が上がれば需要は一層減り、今でも負のスパイラルに入っているのに、ますます深まってしまいます。
 とはいえ、今の状況で需要が拡大することは到底望めません。フィルムカメラに興味を持つ若い世代の人が増えたといっても、下がってきた需要を回復できるほど多くの人が興味を持ってくれているとも思えません。

 私は主にリバーサルフィルムを使用していますが、ここ数年、消費するフィルムの数が減ってきています。年間に撮影に出かける回数は特に減っておらず、むしろ増えていると思うのですが、使うフィルム数は減っています。
 これは、従来は同じ場所で何カットも撮影したのですが、最近は2カットとか3カット、少ないときは1カットしか撮らないので、結果として消費量が減っているわけです。その理由は、複数カットを撮っても廃棄に回ってしまうものがあってもったいないということと、やはりフィルムの価格が上がったということが大きく影響しています。致し方ないことだとは思いながらも、自分自身も負のスパイラルを加速している一人なんだという思いもあります。

 今回のイルフォードやコダックの値上げのニュースを聞いて思ったのは、このままフィルム価格が上がり続けて、いくらになるまで自分はフィルムを使い続けていられるんだろう、いくらになったらフィルムをあきらめるのだろうということです。例えば、今の価格の2倍になったらあきらめるかというと、そうとも思えません。「もう少し、もう少し...」とあがきながら細々と使い続けているんだろうなと思います、たぶん...

 話は変わりますが、最近、若い女性が二眼レフカメラや中判カメラを首から下げて、街中を歩いている姿を見かけることが多くなりました。たぶん、スナップを撮っているのではないかと思われるのですが、妙にカッコ良くて思わず見入ってしまうことがあります。どんなフィルムを使っているのか、もちろん尋ねたこともありませんが、とても応援したい気持ちになります。
 前出のフィルムに興味を持った若い世代もそうですが、こういう方々がフィルム価格の高騰が理由で、せっかく踏み入れたフィルムの世界から足を洗ってしまうことがないようにと願うばかりです。

二眼レフカメラや中判カメラを持ち歩いている人を見かけることも

 この先フィルムがどうなっていくのか、私などには全くわかりませんが、すぐになくなるとも思えません。市場では中古カメラの価格が下がるどころか、むしろ上がっているようにも感じます。私には不思議な現象に思えるのですが、中古価格の高騰がフィルムの足を引っ張ることにならなければ良いがと思っています。

 それにしても値上げは痛い! これ、本音です。

(20221年1月14日)

#イルフォード #ILFORD #コダック #KODAK

撮影中にクマに出会ったら... クマ避けの鈴は効果があるのか?

 10月の後半に山形、秋田、青森方面に紅葉の撮影に行ってきました。訪れた時はまだ色づきはじめでしたが、わずか一週間で一気に紅葉が進んだ感じでした。

 秋田県の、とある滝の撮影に行った時のことです。
 その滝は車を降りてから山道を30分ほど登った先にあります。最近はあちこちで目にする「熊注意!」の看板がここにもありました。私は山に入るときはクマ避けの鈴(ベアベル)をつけるのですが、この日も腰につけて歩き始めました。
 15分ほど歩いた頃でしょうか、視界の隅に動くものが飛び込んできました。「もしや...」と思って右の方を見ると真っ黒な岩のようなものがもぞもぞと動いています。たぶんクマです。距離は50~60m、もしかしたらもう少し離れていたかもしれません。こちらに背を向けているらしく、顔は見えません。
 相手はこちらの存在に気がついているのかどうかわかりませんが、走っている様子もなく、ソーシャルディスタンスを保っていると思っているのか、ゆっくりとした足取りで森の中に消えていきました。見えていた時間は4~5秒だと思います。

 私がつけているベアベルは結構甲高い音がするので、かなり離れていても聞こえます。人間でさえ聞こえるのですから、クマの耳には確実に届いていたと思われますが、音がしたから去っていったのか、そもそも聞こえていなかったのか、それは当人に聞いてみないとわかりません。

▲クマ避けの鈴(ベアベル)

 離れていたとはいえクマを目撃した私はというと、それまでのハイテンションな気持ちがすっかり萎えてしまいました。クマは森の奥に行ったのでこのまま滝を目指すか、それともあきらめて引き返すか、どちらとも決められずにその場に立ち尽くしていました。
 クマは、滝に向かう道とはずいぶん違う方向に行ったようですが、この先でまたご対面なんていうこともないとは限りません。そう考えると足が前に出ません。

 私は過去にも二度、クマを見かけたことがあります。いずれも今回のように離れたところから見かけただけで、至近距離で遭遇したとか、ばったり鉢合わせしたとかいうことはありません。しかし、クマを見かけた後、そこから先に進むのは非常に勇気がいります。ベアベルを鳴らしながら歩いても効果があるのか、疑心暗鬼になってしまいます。クマが街中に現れたとか、民家の庭を荒らしたとかいうニュースが時々ありますが、そういうのを聞くにつけ、クマが物音に警戒して去っていくということ自体が本当なんだろうかと思ったりもします。

 5~6年前になりますが、秋田県の阿仁町というところに撮影に行ったことがあります。その時、地元のマタギの方と偶然お会いした際に教えていただいたのですが、クマは火薬のにおいをいちばん嫌うらしいです。爆竹を10本ほど鳴らしておくと、少なくともその日、その周辺にはクマは寄ってこないとのことです。クマと出会った時のことを考えるよりも、素人はクマに出会わない方法を考える方が良いともいわれました。
 確かに森に響き渡る音と漂う火薬の臭いは効果てきめんという感じがしますが、何十本もの爆竹を持って、歩きながら爆竹を鳴らすというのはさすがに気が引けます。しかも、枯葉に火でも着きようものなら大変なことになってしまいます。

 しかし、このマタギの方の話が妙に頭に残っていて、その後、クマ避けグッズをいろいろ探してみました。唐辛子のスプレーが最も効果があるようですが、これは目の前にクマがいた時の話ですし、そもそも、急にクマに出くわしたときにスプレーを噴射するような余裕はないと思います。たとえ運よくスプレーを噴射できたとしても、風向きによっては自分の顔に降り注ぐなんていうのが関の山です。

 そして、いろいろ探した結果、たどり着いたのが電子ホイッスルです。

▲電子ホイッスル

 長さが10cmほどで手のひらにすっぽりと納まる大きさです。電池式で、警察官が交通整理をするときなどに吹いている笛のような音がします。しかも、かなりの大音量です。実際にどれくらいの効果があるのか、この音でクマは去ってくれるのかはわかりませんが、森の中で鳴らすと鳥は驚いて飛び去って行きます。
 以来、私は森や山に入るときは、この電子ホイッスルをポケットに入れて歩くようにしています。もちろん、ベアベルも腰に着けています。

 音がとても大きいので、近くに人がいるときに鳴らすとかなり驚かせてしまいます。ですので、これを使うのは誰もいない森や山の中です。
 クマが出るんじゃないかという恐怖心は、歩いているときよりも撮影をしているときのほうが大きいわけですが、ファインダーを覗いていると周囲に目がいかないので、後ろからクマが忍び寄ってきても気がつかないというのがその理由です。
 撮影に入る前に周囲に人がいないことを確認したうえで数秒間、この電子ホイッスルを鳴らし続けます。これだけで何となく安心した気分になり、撮影に没頭することができます。

 今回、滝に向かう途中でクマを見かけ、その後、先に進むか引き返すか決めかねて20分ほどその場にたたずんでいましたが、恐怖心もおさまってきたこともあり、撮影に行ってきました。他に人の姿はなかったので、ときどき電子ホイッスルを鳴らしながら進んだのは言うまでもありません。
 そして、電子ホイッスルの効果があったのかどうかはわかりませんが、その後、クマの姿を見かけることはありませんでした。

 この電子ホイッスルですが、クマ避けだけでなく、緊急時に自分の存在を知らせるということにも使えそうです。幸いにもそういう事態になったことはありませんが、撮影で森や山に入るときは電子ホイッスルと強力な光を照射するLEDライトは常に持ち歩いています。
 火薬を燃焼させたときの臭いがするスプレーがあればぜひ購入して、持ち歩きたいものです。

 余談ですが、山でよく出くわすのがカモシカと鹿(ニホンジカ)です。彼らは警戒心が強いのでソーシャルディスタンスを保ちながらじっとこっちを見ているだけで、襲ってくるようなことはないので安心です。
 また、イノシシも数回見かけたことがあります。イノシシはものすごい勢いで走っていくので、その正面に立っていれば弾き飛ばされてしまいそうですが、不思議なものでクマに対するような恐怖心はありません。
 クマやイノシシの足跡と、それが新しいものか古いものかの見分け方などを教えてもらったこともありますが、撮影の時は地面についた足跡にまで気が回らず、残念ながら教えてもらったことも役に立てられていません。

(2021年12月3日)

#クマ避け鈴 #小道具

会話がない独り撮影行 ひと言も声を発しない一日

 私は自然風景を撮影することが多いので山や渓谷に行く機会も増えますが、撮影が目的の撮影行の場合、一人で出かけることが圧倒的に多いです。同じ目的を持った気のおけない友人などと一緒に出掛けるのは、それはそれで楽しいものですが、特に作品を撮ることが目的の場合は一人で出かけます。それは、お互いの撮影のリズムやペースを乱したり乱されたりしたくないからです。

 自然の中を歩き回りながら、自分の感性に響く被写体に出会ったときは納得がいくまで撮影をしたいものですが、いくら仲の良い友人であっても自分と同じように感性に響いているとは限りません。逆もまた然りです。そんなときに、お互いのことを気遣っていると、思うような撮影ができません。結局、自分の好きなように撮影するには単独の撮影行ということになるわけです。
 また、私はあまり多くの人がいる場所や観光地のようなところに行くこともほとんどありません。人が多いところで三脚など立てていると迷惑になりますし、撮影もしずらいので、なるべく人の少ないところ、人のいないところに行くことが多いです。

 しかし、人に会うのが嫌いかというとそういうわけではなく、山で人と出会えば挨拶もするし、自分と同じように撮影にきている方と出会えば、挨拶だけでなくちょっとした会話をすることもごく当たり前にします。訪れた先で美味しいものを食べたり、地元の方といろいろな話をすることも撮影行の楽しみの一つです。撮影をしているときは一人がいいのですが、それ以外の時は、人と接したいというのが正直なところです。

 ところが、昨年からの新型コロナの感染拡大によって、人との接触を極力減らさなければならないということもあり、撮影に行った先でも人との接触はできるだけ避けるようにしてきました。訪れた先で人と接したり会話をしたりというごく当たり前のことが、コロナ禍によってそういったことにも気を使わざるを得なくなってしまいました。
 早い話しが、一人で出かけて、誰とも会ったり話したりせずに帰ってくるという、なんともわびしい撮影行を強いられる時代になってしまったという感じです。

 先日、とある渓谷に撮影に行ってきました。機材を車に積んで、まだ夜も明けきらぬ暗いうちに出発しました。お昼ご飯は途中のコンビニで調達しようとも思いましたが、家から持参することにしました。
 午前8時ごろ、誰もいないと思われる渓谷に到着しました。それから午後3時ごろまで、休憩も含めて約7時間ほど撮影をしましたが、その間に出会ったのは渓流釣りをしている方、ドライブに来られたと思われるカップル、そして、やはり撮影に来られたのでしょう、三脚とカメラを担いだ方の4名だけでした。しかもすれ違った程度ですから、軽く会釈をしただけで会話もしていません。

 午後3時過ぎ、撮影を切り上げて帰ることにしました。飲み物もなくなってしまったので、途中、コンビニに立ち寄ってペットボトル入りのお茶を購入。しかし、ここでも店員さんからは「いらっしゃいませ」とか「ありがとうございました」などおっしゃっていただきましたが、こちらからの会話は一切ありません。

 午後6時頃に家につき、車から降りたところ、隣の家の柴犬が尻尾をフリフリしながらお出迎えをしてくれました。「〇〇〇(柴犬の名前です)、ただいま」と声をかけながら頭を撫でていて、「そういえば、今日、初めてしゃべったな」と思いました。早朝に家を出発し、目的地では黙々と撮影をし、そして夕方に家に戻るまで全く会話がない、そんな一日だったということに思い至り、ちょっと異常だなと思わずにいられませんでした。

▲お隣の柴犬

 私はもともと独り言を言うことはほとんどないので、撮影をしながら一人でブツブツ何かを言うこともありません。山で蛇に出会ったりして驚いた時でも、声を発するよりも息をのんでしまう方です。ですので、一人でいるときは声を発することがないのは当たり前のように思っていましたが、朝起きてから夕方に帰るまで、全く声を発しないというのは初めてではないかと思いました。
 もちろん、風邪でもひいて寝込んでいて、終日家にいればそんなこともあるかも知れませんが、そうでもない限りは電話をしたり、宅配便が届いたり、ちょっと外に出て近所の人と挨拶をしたり等々、全く声を発しないなんてことはまず考えられません。

 もし、コロナ禍でなければ出かけた先で出会った人と挨拶くらいはしたかもしれないし、途中で飲食店やお土産屋さんなどに入って会話をすることもあったでしょう。
 また、友人と一緒であれば行き帰りの車の中でもたくさんの会話をしたでしょうし、お互いに気を使いながらも撮影中に会話をしたと思います。
 そう考えると、コロナ禍によって会話の量がずいぶんと減っているということを、あらためて実感しました。今回訪れた渓谷も、仙人が住むような山奥ではないので、普段であればもっと人の数も多いと思うのですが、自粛の影響なのか、人の数は非常に少ないという感じでした。

 余談ですが、近くの公園にカワセミが棲みついている池があり、そこに行くとたくさんのカメラマンがバズーカ砲のようなレンズでカワセミを狙っています。カワセミが飛来すると一斉にシャッター音が響き渡りますが、カワセミがいないときはお隣同士で楽しそうに会話をしています。
 私は野鳥を撮ることがないので、邪魔にならないように少し離れたところからそういう光景をちょっとうらやましい気持ちで眺めていますが、ひたすら撮影するだけでなく、こういうコミュニケーションも撮影の楽しみの一つなんだと感じます。

 撮影以外の時は人との関わりが欲しいものですが、撮影の時は気兼ねなく行動できる一人がいいものです。緊急事態宣言が解除されたとはいえ、コロナウイルスがいなくなるわけではないので、まだしばらくはこのような状況が続くと思われます。
 独り撮影行はやめられませんが、一日中、一言も発しないようなことがない日が来ることを願っています。

(2021年10月1日)

カラーリバーサル 1コマあたりのコストはこんなに高い!

 私が写す被写体は風景が多く、使うフィルムの中で圧倒的に使用頻度が高いのがカラーリバーサルフィルムです。以前はリバーサルフィルムの種類も豊富でしたが、今では5本の指で余るくらいに銘柄が減ってしまいました。
 追い打ちをかけるように近年、フィルム自体の価格が高騰し、現像料金も驚くほど高くなりました。モノクロは自家現像するのですが、カラーリバーサルは何度やってもラボに依頼したようなきれいな色が出ないので、料金が高くても依頼することになってしまいます。

 実際に、カラーリバーサルで撮影した場合、いかほどの費用が掛かっているのか、今更ながらですが、リバーサルフィルムの中でも特に良く使用する富士フイルムの「PROVIA 100F」について調べてみました。なお、記載の金額は2021年7月時点のものです。カメラ店によって多少の違いはあるかも知れませんが、私が良く利用している大手カメラ店での金額を採用しています。

▲ 左上:67判  右上:4×5判  下:135

 現在、PROVIA 100Fには135(35mm)、120(ブローニー)、4×5、8×10の4種類がラインナップされています。
 まず、フィルム自体の価格は以下の通りです。いずれも最小販売単位の実売価格です。

  ・135-36(36枚撮り)  1,760円/本
  ・120(5本パック)   5,550円/箱
  ・4×5(20枚入り)   13,900円/箱
  ・8×10(20枚入り)   53,350円/箱

 これを1コマあたりにすると以下のようになります。120フィルムについては67判で1本あたり10コマということで計算しています。

  ・135-36(36枚撮り)   48.9円/枚
  ・120(5本パック)    111.0円/枚
  ・4×5(20枚入り)    695.0円/枚
  ・8×10(20枚入り)   2,667.5円/枚

 そして、ここに以下のような現像料金がかかってきます。135と120は1本、4×5と8×10は1枚が最小現像単位になります。

  ・135-36    1,493円/本
  ・120      1,313円/本
  ・4×5      377円/枚
  ・8×10    1,609円/枚

 現像料金もフィルムの価格と同様に1コマあたりにすると、

  ・135-36    41.5円/枚
  ・120    131.3円/枚
  ・4×5    377.0円/枚
  ・8×10   1,609.0円/枚

 となります。

 よって、フィルムの価格と現像料金を合わせた1コマあたりのコストは以下のようになります。

  ・135-36   90.4円/枚
  ・120    242.3円/枚
  ・4×5   1,072.0円/枚
  ・8×10  4,276.5円/枚

 
 なんと、35mmフィルムでさえ、1コマあたり90円以上という高額です(135の36枚撮りフィルムは37枚撮れるので、もう少し安くなるというご意見もあるかも知れませんが)。
 正確なことはわかりませんが、まだフィルムの需要がそこそこ高く、銀塩全体が元気だった頃(たぶん、7~8年前)に比べると、2倍以上のコストになっていると思われます。

 フィルムサイズが大きくなるとそれに伴って高額になるのは理にかなっていますが、1コマあたりの価格比と有効面積比をみてみると以下のようになります。いずれも135フィルムを1としたときの比率です。

       <価格比> <面積比>
  ・135-36    1      1
  ・120      2.68    4.47
  ・4×5     11.86    13.06
  ・8×10    47.31    54.28

 こうしてみると、面積あたりのコストパフォーマンスが最も高いのが120フィルムということになります。

 と、ここまでは簡単な計算で求められるのですが、ここからが本題になります。
 これは私の経験によるものなので、一般的に通用するかどうかはわかりませんが、という前提で進めさせていただきます。あらかじめご承知おきください。

 フィルムを使った撮影の場合、たとえ失敗であってもフィルムにしっかりと記録され、確実に1コマを消費してしまいます。デジカメのように失敗したものをなかったことにしてしまうわけにはいきません。例えば135の36枚撮りフィルムを使った場合、失敗作でも1コマで90円以上の費用がぶっ飛んでしまいます。8×10に至っては4枚の千円札に侍従までついて、いずれも羽が生えて飛んでいくという悲惨な結果です。

 そう考えると、上で1コマあたりのコストを単純計算しましたが、失敗作や保存しておく価値のない駄作などを差し引いて、最終的に残ったコマ数で算出するのが正しいコストの出し方ではないかと思うわけであります。仮に、36枚撮ったうち10枚が失敗作で、残す価値のあるものが26枚だったとすると、1コマあたりのコストは36で割るのではなく26で割るべきです。そうすると、1コマあたり90円ではなく、125円ほどに跳ね上がることになります。
 もちろん、失敗作だろうが駄作だろうが、大切に残しておきたいということであれば話しは別です。ですが、私の場合、失敗作や駄作は廃棄してしまうのでコストに跳ね返ってきます。

 では、実際に失敗作や駄作がどれくらい発生するかということですが、保管してある撮影済みのポジを少し調べてみました。どれくらいの廃棄が出ているか、ある程度は感覚的にわかってはいましたが、あらためて調べてみたところ、135フィルムで約59%、120フィルムで約11%、4×5フィルムで約3%が廃棄されていました。8×10は撮影枚数が少なすぎてデータが取れませんでした。因みに私の場合、失敗作より駄作の方が圧倒的に多いです。

 廃棄されずに手元に残った枚数で1コマあたりのコストを割り出してみると、

  ・135-36   約221円/枚
  ・120     約272円/枚
  ・4×5   約1,105円/枚
  ・8×10    —

 となります。

 こうしてデータを見てみると、135フィルムではいかに無駄なシャッターを切っていたかということがわかります。結果的に2.4倍ものコストがかかっており、120フィルムのコストに迫る勢いです。
 露出を大幅に間違えたり意図しないブレが生じたりという失敗作はともかく、一応、写真として成立しているものを駄作とするかどうかは本人の主観の問題ですが、あまり考えずにシャッターを切っていたということが歴然としています。
 一方、120や4×5フィルムになると、廃棄に回る数はずいぶん減少します。失敗作が出ないわけではありませんが、35mmフィルムに比べると、コストの上昇率はかなり低く抑えられています。

 こうした結果になる理由はいくつかありますが、まず、中判や大判はそもそものコストが高いので、ここと決めたもの以外はほとんど撮らないということが挙げられます。撮るべき対象物をしっかり見定めて、頭の中で画を組み立てるということをするので、あまり考えずに撮るということがありません。
 また、中判カメラや大判カメラは撮影までの手間がかかるので、画作りにも神経が行き届くという感じがします。特に大判カメラの場合は一発勝負というところがあるので、構図決めにしてもピント合わせにしても露出設定にしても、とにかく慎重に行ないます。
 結果、失敗作や駄作の減少につながるのだと思います。

 しかしながら、35mmフィルムのようにたくさん撮った中から最高のものを選ぶ、ということがなかなかできません。そんなことを中判や大判でやった日にはコストがどれくらいかかるか分かったものではありませんし、何よりもそんなに大量に撮れるほどの機動性がありません。

 まぁ、所詮は自己満足の世界かも知れませんが、中判や大判には写真を撮ったという実感があることも事実です。

 撮影スタイルは人それぞれですから、一枚を大切に撮る人もいれば、瞬間を逃さないためにたくさん撮る人もいると思いますが、私の場合、使用するカメラ、というよりは使用するフィルムのサイズによって無意識のうちに撮影のスタイルが変わっているということです。
 シャッターを切るごとに頭の中で「チャリーン」と音がして、コストが積み上げられていくわけではありませんし、これはと思った被写体に対してはコストのことなど全く無視して撮り続けます。常にコストを気にしながら撮るなどということはしたくありません。

 ですが、こうして1コマあたりのコストをはじき出してみると、つくづく「高いなぁ」と思います。写真に限ったことではありませんが、コストがかかりすぎると控えようと思うのは人間の常です。無い袖は振れないと言いますから仕方のないことですが、これ以上、フィルムの価格も現像料金も上がらないことを願うばかりです。

 それならデジタルにすればいいじゃないか、という声が聞こえてきそうですが、フィルムに拘っている時代錯誤野郎の独り言と聞き流してください。

(2021年8月7日)

#リバーサルフィルム

わかるようでわからない、写真の「空気感」について思うこと

 どの業界にも、そこに携わる人以外にはなかなか理解しがたい「業界用語」なるものがあります。中にはすっかり市民権を得てしまった業界用語などもありますが、多くは一般の人が使うことは稀です。業界用語はその道の専門家が使ってこそ効果的であり、一般人が使っても浮いた感じに聞こえてしまいます。

 写真の世界にも業界用語なるものがあり、写真やカメラを職業にしている方々は日常的に使っていると思います。しかし、職業にしていなくても写真やカメラを趣味としている人は非常にたくさんいるわけで、こういった人たちの間にも業界用語、というよりも写真用語と言った方が適切かもしれませんが、それが良く使われています。この辺りが、他の業界用語とはちょっと違っているところではないかと思います。

 もちろん、写真業界の用語と言っても非常に多岐に渡っているわけですが、中でもわかりにくいのが写真そのものを表現する用語です。
 写真を見て、「抜けがいい」とか「甘い」とか、「透明感がある」、「シズル感に満ちている」などと表現する人は多いと思います。写真をやらない人からすると何言ってるのかほとんどわからないと思いますが、写真をかじったことのある人であればほぼ通じますし、わかりにくい中でも比較的わかり易い言葉だと思います。

 例えば、「抜けが良い」というのは「クリアですっきりとした描写の写真」という認識の人が多いでしょうし、「甘い」といえば「ピントが合っていない、なんとなくボケている」といった理解だろうと思います。
 これらはある程度、物理的に説明ができる(例えば、低周波のコントラストが高くなると抜けが良く感じるなど)ので、人によって認識が大きく異なるということがないと思われます。平たく言えば、説明がし易い、ゆえに理解し易いということでしょう。

 これに対して、非常にわかりにくいのが「空気感」という言葉です。
 この言葉の意味を調べてみると、圧倒的に多いのが「その場にいるような感じ」とか、「その場の雰囲気」という説明です。これらの説明からすると、「臨場感」のようなものを指しているように思ったりもします。

 しかし、私は常々、これらの説明には100%うなずけないものを感じています。

 同じく「空気」という単語が使われている言葉に、「空気までも写し取るような」という表現があります。カール・ツァイスのレンズを評価するときによく使われている印象があるのですが、これは「空気感」とは全く違うと思っています。「空気までも写し取る」とは、人間の目では見えないものまでも写すほどのレンズ、ということの例えであり、そのレンズの性能のすばらしさを表現しているのだと思います。

 しかし、「空気感」はレンズの性能を表現しているのとは少し違います。

 多くの説明にあるような「その場にいるような感じ」ということであるとすると、例えば、気持ちよく晴れ渡った広大な風景写真を見ると、爽やかな風や暖かな日差しを感じるとか、逆に、雨に煙る薄暗い森の中の写真を見ると、しっとりと湿った空気を感じるなど、写真を見ることで過去に似たような環境にいたことのある経験が思い起こされ、そういったことが感じられるということではないかと思います。

 一方、「その場の雰囲気」ということであるとすると、気温とか湿度とかではなく、結婚式やお祭りでたくさんの人の笑顔が写っている写真を見て、その場が非常に楽しそうであると感じるとか、逆に、夕暮れの街角にたたずむ人を写した写真を見て、寂しさのようなものを感じるということでしょう。「空気を読む」という表現がありますが、その「空気」の意味と似通っているかもしれません。

 前者は、物理的に感じ取れるもの(暖かいとか湿度が高いとか)であり、後者は心が感じるもの(楽しそうとか寂しそうとか)です。
 どちらも「感じる」という意味では共通しており、これらをいずれも「空気感」であるとするならば、次のようなシチュエーションの写真があったとしたら、その「空気感」というのは何と言ったらよいのでしょう?
  ・良く晴れた日に、
  ・どこまでも広がる草原で、
  ・鼠色のスーツを着たオジサンたちが、
  ・憂鬱な顔を突き合わせ、
  ・ぐったりした感じで、
  ・ミーティングをしている。

 このような例えは詭弁かも知れませんが、私が「空気感」に対する多くの説明に違和感を覚えるのはこのようなことが理由です。

 では、私にとっての「空気感」とは何かを説明してみろと言われてもうまく表現できず困ってしまうのですが、正直なところ、そもそも私自身が「空気感」という感覚なるものを明確に持っているかどうかも怪しいといったところです。

 「空気感」という表現をいつ、誰が用いたのかは知りませんし、当初、この言葉がどういうものを指して使われたのか、いろいろ調べてみましたが不明です。
 私自身、「空気感」というものが良くわかっていないので普段使うことはほとんどないのですが、かといって全く「空気感」の存在を否定しているわけではありません。だれが作った言葉かわかりませんが、「空気感」なるものがまったく荒唐無稽なものではなく、写真の中に何となく存在していると感じているのも事実です。

 うまく説明できないのですが、良くわからないながらも私が思う「空気感」というのは、その場の雰囲気とかではなく、「物理的に立体感のある空間が存在していることが感じられる」ということではないかと思っています。

 私が撮る写真のほとんどはフィルム写真ですが、私がフィルムに拘っている理由の一つはデジタル写真にはない奥行き感とか立体感があるからです。写真は所詮、二次元の世界ですが、同じ二次元でも奥行きを感じる画像と感じない画像があります。個人的には「空気感」というのはこの奥行き感や立体感と密接に関わっているのではないかと思います。

 しかし、奥行き感や立体感があれば空気感が感じられるかというとそうではなく、似ていながらもこれらはまったく別物だと思っています。
 例えば、テーブルの上に置いたさいころだけを撮っても立体感は感じるかもしれませんが、空気感を感じるようには思えません。

 すなわち、お互いに距離が離れているものの間には当然のことながら「空間」が存在するわけですが、写真の中にこの「空間」を感じられるかどうかということではないかというのが私の「空気感」に関する勝手な持論です。
 空間を感じさせる要素というのは一つではなく、色とかボケとか解像度、あるいは位置関係など、いろいろあると思うのですが、そういう要素が組み合わさって二次元映像の中に空間が生み出されたように感ずるということではないかと思うのです。
 近景の色ははっきりとしているが遠景は全体的に淡い色合いをしているとか、近くの被写体はバリバリに写っているが、遠くはボヤっとしてるとか、そういうことが複数積み重なることで空気感なるものが生まれるのではないかと思っています。
 最初に「空気感」という表現をした方がどのような意図をもっておられたかは存じ上げませんが、私がその言葉から感じ、自分なりに理解するのは以上のようなことです。

 「空気感」に対する私の見解が正しいとも思っていませんし、人によって様々な意見やとらえ方があるだろうということも十分に認識していますので、あくまでも私の個人的、かつ、何の裏付けもない勝手な意見ということで軽く流してください。まったくもって自分自身の感覚的な話しであります。

 とは言いながら、常に頭のどこかで「空気感」に対するモヤモヤした感覚が存在していることも事実です。いろいろと情報を集め、感覚的ではなく科学的に説明ができるようであれば、あらためて投稿してみたいと思っています。

(2021年6月8日)

#写真観 #空気感