私が普段使っているカメラは主に大判カメラと中判カメラで、大判カメラの使用頻度はおよそ7割、中判カメラが3割ほどで、ごくまれに35mm判カメラが登場します。もちろん、いずれもフィルムカメラです。
なぜ、デジタルカメラ全盛のこの時代にフィルムカメラを使っているのかということについては別のページにも書きました。興味のある方はご覧ください。
「第150話 なぜフィルム写真に心がときめくのか? 不思議な魅力を持ったフィルムという存在」
デジタルカメラ全盛とはいえ、2010年ごろにピークを迎えたデジタルカメラの出荷台数も減少の一途をたどり、2022年には1/10ほどまでに落ち込んでしまったとのことで、カメラ業界も大変な状況になっているようです。それでもここ数年、わずかながら出荷台数が上昇傾向にあるようです。
そんな中でフィルムカメラの出荷台数はというと、あまりにも数が少なすぎてデータがとれていないようです。昨年(2024年)、リコーからPENTAX 17というハーフサイズのフィルムカメラが新たに発売され、一時は品切れになるほどの売れ行きだったようですが、残念ながらデジタルカメラの出荷台数から比較すると誤差の範囲ということだったのでしょうか。
ましてや、中判カメラや大判カメラに至っては推して知るべし、というか、そもそも今も製造しているメーカーというのが非常に少なく、中国のChamonix シャモニーという会社など海外のメーカー数社が製造し続けているくらいではないでしょうか。
そんな大判カメラの現状ではありますが、細々ながら製造を続けてくれるメーカーがあるということは、少ないながらもニーズがあるということなのだと思います。大判カメラを使い続けている身からするととても勇気づけられるとともに、ありがたく思います。
[ 追記] *************
このページをご覧いただいたうたろう様より、イタリアのGibellini Cameraというメーカーが大判カメラを製造販売しているという情報をいただきました。私は知りませんでしたが、世界各地には今でもこのようなカメラを作っているメーカーがあることに驚きです。ありがとうございました。(2025年12月1日)
******************
大判カメラをメインで使っていながらこういうことを言うのはどうかとも思いますが、とにかく大判カメラでの撮影は面倒なことが多く、何かと大変です。
大判カメラの何が大変なのか、まずはそのあたりについて触れておきたいと思います。
<撮影に出かける前の準備>
大判カメラで使用するフィルムは「シートフィルム」と呼ばれるもので、1枚ずつカットされた状態で箱に入って販売されています。これをフィルムホルダーに装填していかなければなりません。暗室にこもるか、もしくはダークバッグの中に両手を突っ込んで、フィルムの箱からフィルムを取り出し、一枚々々、フィルムホルダーに詰め込んでいく作業を行ないます。
慣れれば装填自体はさほど時間がかかるものではありませんが、フィルムホルダーを用意したり、私の場合、埃が入るのを防ぐためフィルムホルダーを1枚ずつビニール袋に入れており、何かとやることがあります。35mmフィルムやブルーニーフィルムのように、必要本数を取り出してバッグに放り込めば済む、というわけにはいきません。
<機材が多く、そして重い>
私は大判カメラを数台持っていますが、その中で使用頻度の高いのがリンホフマスターテヒニカ45(Linhof MasterTechnika 45)というカメラです。金属製のフィールドタイプのカメラで、重さが約2.6kgあります。デジタル一眼レフカメラの上位機種でも700g前後だと思いますので、それに比べてもかなり重いです。
また、大判用レンズにはズームレンズがなく、すべて単焦点レンズなので持ち出す本数も自ずと増えてしまいます。レンズの重さはまちまちですが、4×5判で使うレンズの場合、軽いもので200~300gほど、重いものだと600gを超えるものもあります。これらのレンズを6~7本持ち出すので、レンズだけで3kg以上になります。
そのほかにフィルムホルダーやレンズフィルター、露出計、ルーペ、冠布等々、とにかく荷物が多くなってしまいます。
<撮影のためのセッティングに時間がかかる>
撮影場所に着いたらバッグからカメラをスッと取り出してサッと撮影する、なんていうことが出来たらどんなにか素晴らしいのですが、大判カメラの場合は撮影できる状態にするまでに手間がかかります。
まず、カメラを取り出し三脚に装着し、畳んだ状態のカメラを開きます。
次に、使用するレンズを決めるわけですが、どの範囲を撮るかによってレンズの焦点距離を選択し、カメラに取り付けます。そして、レンズのシャッターにケーブルレリーズをねじ込みます。
その他の必要な機材である単体露出計、ルーペ、冠布などを準備しておきます。
<フレーミングやピント合わせに時間がかかる>
カメラのセッティングが出来たらようやくフレーミング(構図決め)やピント合わせを行なうわけですが、大判カメラの場合はカメラ後部のフォーカシングスクリーン(ピントガラス)に映った上下逆さまの像を見ながらの作業になります。4×5判の場合、スクリーンの大きさが100mmx125mmほどの大きさがあるので、その広い範囲の全体を見ると同時に、ルーペで細部にわたってピントの状態を確認していきます。その際、光が入ってフォーカシングスクリーンが見にくいようであれば冠布を頭からすっぽりとかぶって行ないます。
構図決めやピント合わせが終わったら単体露出計で測光して露出を決め、その値をもとにレンズの絞りやシャッター速度を設定します。
<シャッターを切る前後の像を見ることが出来ない>
ピント合わせの時はレンズのシャッターを開いて行ないますが、それが完了したらシャッターを閉じます。そうするとカメラ内に光が入らなくなるので、フォーカシングスクリーンは真っ暗になります。その状態でシャッターを切るので、その瞬間の像というものを見ることが出来ません。
一眼レフカメラもシャッターを切った瞬間は暗くなりますが、その直前までは像を見ることが出来るわけですから、それに比べると何とも不便なものです。特に移動しているものを撮る場合、フレーム内のどこに来ているかをある程度の勘に頼らなければなりません。
ここまでの作業が完了してようやく、シャッターを切ることが出来ます。
今のデジタルカメラであればこの間に軽く数十枚、いや、数百枚の写真を撮ることが出来ると思われるので、いかに大判カメラの撮影は手間がかかり、面倒くさいかということがわかると思います。そして、一眼レフカメラなどに比べて著しく機動性に劣るということも想像できるのではないかと思います。そのため、とっさの瞬間のシャッターチャンスをものにするというような撮り方は大判カメラの場合、極めて困難です。
<撮影データを記録しなければならない>
電子化されたカメラのように撮影時のデータを自動で記録してくれるわけではないので、メモ帳に書きこんでおきます。撮影場所や撮影日時、使用したカメラやレンズ、露出、絞り、シャッター速度などは当然ですが、私にとっていちばん大切な記録は、自分が何を感じてそれをどのように表現しようとしたかということです。これが、現像後に写真を見たときにそれらが表現できているかどうかという自己判断する際にとても重要になります。
加えて、大判カメラに限ったことではありませんが、フィルムカメラの場合は撮った写真をその場で確認することが出来ない、フィルムや現像にお金がかかるなど、デジタルカメラに比べると大変なことが目白押しといった状態です。
何故、このように不便で大変な大判カメラを使い続けるのか、何故、大判カメラにこだわるのか、それは大判カメラに魅力があるからと言ってしまえばそれまでですが、私の場合は少し違う気がしています。
確かに大判カメラで撮影した写真は見応えがあるのは事実です。それはフィルムの面積が大きいがゆえに解像度が高いとか、色の階調が豊かに表現される、というようなことに基づいています。ですが、解像度や階調表現などは今のデジタルカメラの方が優れているのではないかと思っています。見た目の綺麗さなどではデジタルの方がはるかに勝っていると思います。綺麗さだけを求めるのであればでデジタルカメラのほうがはるかにすぐれていて、しかも便利です。
前の方でも書いたように、大判カメラでの撮影にはものすごく手間がかかります。そのため、タイミングを逃すなどということも珍しくありません。
私の場合は主な被写体が自然風景なので、重い機材を背負ってあちこち歩きまわります。そして、何か感じる景色、心に響く景色に出会ったときに足を止め、その風景と対峙し、自分は何を感じたのか、何を撮ろうとしているのかということを自分の中で問い続けます。
美しい風景を美しく撮るのはそう難しいことではありません。ですが、そこに、自分が感じたことをどのように表現するというのは結構難しいことだと思っています。目の前に広がっている景色の中から、どの範囲を四角く切り取ればよいのか、たくさんの中からどれを主被写体にすればよいのか、自分が感じたことを表現するためには何を取り込めばよいのか、何を取り除けばよいのか等々、様々なことを思考しながらフレーミングを追い込んでいきます。
そして、自分の納得のいくフレーミングが出来たら露出を決めます。露出計で測光するわけですが、露出計が示す値をそのまま使うのではなく、自分の感じたものを表現するため、自分なりの露出値を決めていきます。どれくらい絞るのか、または絞らないのか、シャッター速度はどれくらいが良いのか、それによって出来上がる状態を頭の中で映像化しながら決めていきます。
最終的に構図を司るすべての要素が決まって、あとはシャッターを切るタイミングを見計らうだけですが、ここでも自分が思い描いた状態を作り上げるために、光はどのような状態のときが良いのか、風は吹いていた方が良いのか、それとも無風に近い方が良いのか等々、自分なりの条件が整ったタイミングでシャッターを切ります。
そして、撮り終えた後も、果たして自分の思い描いた通りの写真になっているかどうか、もう一を頭の中で振り返りをしてみます。
不思議なもので、シャッターを切った瞬間に手応えのようなものを感じたときは概ね、思い通りに撮れていることが多いのですが、手応えが感じられないときは概してつまらない写真になっていることが多いです。
この一連のプロセス(過程)の中で被写体と向き合いながら対話をしている時間がかなり長く存在していて、撮影全体の中の大半を占めていると言っても過言ではありません。そんなことに時間を費やしている間に1枚でも多く撮った方がタイミングを逃すこともないし、様々な写真を撮ることが出来るじゃないかと思われる方も多いかもしれません。私もそれに異を唱えるつもりはありません。
ですが、私の撮影スタイルとして、被写体との対話をなくすことはできないと思っています。
このようなプロセスは大判カメラでなくても、中判カメラや35mmカメラでも同じようにできるはずです。理屈ではそうなのですが、私の場合、その理屈通りにはできません。例えば、35mm一眼レフカメラを持って同じ場所に出向いていき、同じように被写体と対峙しようとしても、まずはカメラを除いてみるというのが先行してしまい、十分な対話をすることなくシャッターを切ってしまいます。
なぜそうなってしまうのか、自分でもよくわからないのですが、理由のひとつにはファインダーをのぞけば写る範囲が一目でわかり、カメラを振ることですぐに違ったフレーミングを確認することができ、見た目の綺麗さだけでシャッターを切ってしまうことが多いのだろうと思っています。つまり、あまりに簡単にフレーミングができてしまうために、自分が大事にしようとしている撮影スタイルがおろそかになってしまうということです。その結果、仕上がってくる写真は、綺麗だけれどもつまらないものばかりになってしまいがちです。
大判カメラだからよい写真が撮れるわけではないのは言うまでもありません。世の中には35mmカメラでも素晴らしい写真を撮っておられる方はたくさんいらっしゃいます。
ですが私の場合、なかなかそのようにはいかず、物理的に時間のかかるプロセスを経ることが私には必要なんだと思っています。大判カメラの撮影ではそれができる、大判カメラだからこそできるのではないかと思います。
何かと手間のかかるカメラ、その一つひとつの処理を行ないながら写真となる映像が頭の中で少しずつ鮮明になっていく、それが大判カメラで撮影することの魅力のように感じています。シャッターを切るまでにやるべきことがたくさんあるからこそ、像の細部に至るまで意識がいきわたるということもあるのかも知れません。
目の前の被写体としっかり対峙して撮影した写真は、あとからポジを見ると撮影当時のことを鮮明に思い出すことが出来ます。多くの写真を撮りたいとい思いは当然ありますが、1枚の写真を大切に撮りたいという思いもあることを付け加えておきます。
(2025.11.28)

こんにちは。
最近ではイギリスにイントレピッドという3Dプリンターで作られた大判カメラがあり、なかなかおもしろいです。
イタリアにもGibellini Cameraがありますね。
びっくりしたのが、シャモニーって高いですね。
無難なところで満足度の高いリンホフを選んでしまいますね。
うたろうさん
いつもご覧いただきありがとうございます。
Gibellini Cameraというメーカーは知りませんでした。
今でも大判カメラを作っているんですね。
chamonixの4×5判のカメラは円安の今でも20万円ほどで購入できるので、買うかどうしようかと悩んでいます。
私もリンホフをメインで使っているので、chamonixを買っても使う頻度は高くないだろうと思っており、とても欲しいのだけれど最後の踏ん切りがつかないといったところです。
でも、あのカメラの品質は侮れないと思っています。